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記事検索結果
3,390件中、122ページ目 2,421〜2,440件を表示しています。 (検索にかかった時間:0.004秒)
親会社の日立金属での37年の勤務のうち、15年間は本社以外を歩み、米国にも10年駐在した。「米企業の買収に関わったことは勉強になった。買収先はITを活用して徹底したカンパニー制を敷いていた。
創業者の天谷幹夫前社長(現会長)からバトンを受けた。「会社の継続性を考えての交代だと思う。電子書籍への注目が高まる中で責任と重みを感じる」と気を引き締める。
旧国鉄から総裁室文書課、総務部人事課などに従事し、民営化では国会対策、余剰人員の雇用対策などに尽力した。1996年から約2年間はホテルグランヴィア京都の開業に携わった。直近の7年間はJR西日本の福知山...
創業40周年で初めて生え抜きトップが誕生した。技術にこだわり続けた40年。そのDNA(遺伝子)を伝承するために就任早々、「共創を大事にしよう」と全社員に呼びかけた。
「小粒でも顧客や代理店に評価される会社にしたい」。東京海上ホールディングスグループで中小規模代理店を中心にリテール営業戦略を担う。個人代理店が高齢化で減少するなど代理店業界の市場が縮小する中、独自の戦...
アルミニウムの鋳造、押出、表面処理、加工を主力とする不二ライトメタルの社長に就任した。製造から販売までの一貫体制が同社の強みで、「素材から商品まで幅広くお客さまに提案していく」と意気込む。 &...
電線や光通信で使用したケーブルを再生加工する昭和リサイクルの社長に就任した。通信ケーブルや電子ワイヤなどの製造・開発が長く、再資源化という新たなテーマに挑むことになる。 「役割を終え...
日本IBMで経験を積み、父親の創業したJSCに41歳で入社。JSCとイーウェーヴの合併により誕生したMinoriソリューションズのかじ取りを担う。 「顧客が本来持っている目的は何か」...
25年間理事長を務めた幡谷祐一現会長から4代目の理事長としてバトンを受け取った。2012年3月期の預金残高は1兆1055億円で信組では全国1位。「身の引き締まる思いだ。
「規模の拡大は考えていないが、社会に役立つ会社にしたい」と抱負を語る。前社長で父の喜嗣氏が病で倒れた2010年から経営の実務を担ってきた。6月下旬のバトンタッチに際して「特に言葉はなかったが、仕事のや...
半導体やフラットパネルディスプレー製造装置の製造に欠かせない水冷冷却システム用機器において、父の稲場久二男会長が一代で築いた会社を新しい感覚で生まれ変わらせる。「継ぎ手や流量センサーなど、稲場会長が自...
入社以来、一貫して技術畑を歩んできた。「新製品開発を重視し、顧客の要望に応える」と技術力で他社との差別化を図る。主力の合板機械や木工機械の開発強化に力を注いだ技術畑出身の成田光将会長(前社長&...
親会社の富士ソフトから副社長として派遣され、上場子会社の社長に。副社長の4年弱と社長就任後の1カ月をかけ、社員との対話を継続。飲みニケーションを含め、「ウチのどの役員よりも社員をよく知っている」と自信...
半世紀近く社長を務めた父で現岡崎一雄会長から3―4カ月前に社長就任を打診された。「入社時からずっとそのつもりで仕事に取り組んできた。準備は万端整っている」とやる気をみなぎらせる。
県庁時代につくば周辺の事業に多く関わったほか、2006年から3年間、同社の総務企画部長兼研究支援部長として在籍したこともあり、つくば地域に思い入れが深い。「第三セクターとして、89年に施設開業後、グロ...
大同特殊鋼の副社長からグループ会社であるフジオーゼックス社長に転身。これまでは素形材事業部が長く、自動車用エンジンバルブが主力の同社とはあまり縁がなかった。それでも「先入観なくできる。
インテックの主力事業である通信分野の出身。30代から40代半ばまでインフラ系の技術開発に携わった。その後、新規事業を企画する立場で、東京電力と共同出資したデータセンター事業会社であるアット東京の立ち上...
親会社で主要取引先の川崎重工業の出身。40年近く勤めた川重では、トランスミッションの設計開発に長く関わり、出向先の米国やタイの子会社で生産管理や経営に携わった。「これまでの経験から、対話と周囲への気配...
次期社長の打診があった時は、自身の年齢が若いこともあって驚いたと振り返る。就任後は「社長業の重さを認識し、中期経営計画の成果を出す」と力を込める。 中計達成に向けて海外展開をさらに加...
NTTデータでは郵便貯金システムに長年携わった。4000人を動員したシステム刷新ではプロジェクトリーダーとして陣頭指揮を執り、同社の歴史に名を刻んだ。社長就任を「大ホテルの料理長からオーナーシェフへの...