[ オピニオン ]
(2018/4/3 05:00)
ニュートリノ観測やヒッグス粒子発見につながる光技術で「ノーベル賞の陰の功労者」と呼ばれる浜松ホトニクス。同社を光技術の世界的企業に育てた名誉会長の晝馬輝夫さんが亡くなった。
「できないと言わずにやってみろ」が口癖。後にノーベル物理学賞を受賞した東京大学の小柴昌俊先生の研究施設『カミオカンデ』で求められた光電子増倍管は直径20インチ。当時は8インチの開発に着手したばかりだったが、赤字を出しながら挑戦した。
「この男の夢に付き合おう」と出資を決めたのはトヨタ自動車の中興の祖・豊田英二さん。面会に来た晝馬さんはカネの話は一切せず、光技術の可能性を1時間以上熱く語ったという。
2005年に光産業創成大学院大学を開学した。在学中に起業した成果を博士論文として学位を取得する前例のない大学。その背景には「新産業を創出しないと日本は駄目になる」との危機感があった。
19世紀は蒸気の時代、20世紀は電気の時代。そして「21世紀は光の時代」と断言していた晝馬さん。自動車への応用など、まさに咲かんとする大輪の花を見る前に旅立たれたが、未知未踏を追い求め続けた起業家精神は、日本企業の進むべき道に明るい光を照らしている。合掌。
(2018/4/3 05:00)