(2021/1/1 05:00)
「明けましておめでとうございます」。こんな平凡な賀詞を口にしようものなら「コロナの収束も見えず、長い年が明けただけ。何がめでたい」と叱られそうだ。
閉塞感は仲たがいを起こす。イソップ寓話(ぐうわ)『胃袋と足』は、足はオレがいなければ一歩も動けないのに、うまいものは胃袋がみな食べると不満たらたら。胃袋はもし栄養をやらなかったら足も手もすぐにくたばるくせにと返す。経済活動も同様。感染拡大を防ぐのか、それとも緩和か。表裏の選択に正解の分からない時間が続く。
慈眼寺(仙台市太白区)の大阿闍梨(あじゃり)の塩沼亮潤師は「選択するのではなく現実を受け止め前を向いて最善を尽くせ」という。米国の哲学者・ニーバーは「われらに変えることのできないものを受け入れる冷静さと、変えるべきものを変える勇気と、両者を識別できる知恵を与えよ」とも。
それでも元日。暦をめくれば春分、夏至、秋分、冬至と変わらず季節の庭石が置かれている。今年も選択の余地なく、四季伝いに齢を重ねる。茫々(ぼうぼう)と流れ去る歳月の中で、誰もが人生の往復切符だけは手に入らない。
だからこそ1年、また1年の節目に「おめでとう」といい合うのである。
(2021/1/1 05:00)