[ オピニオン ]
(2016/12/12 05:00)
ここに来て、インターネットで人気の情報サイトが次々に公開停止に追い込まれる異常事態が起こっています。DeNAの運営する医療・健康情報サイトの問題をきっかけに、他社の情報サイトも含めて、専門的な知識に基づかず、信憑性の低い情報を載せたり、他人の情報を盗用したり盗用の可能性があったり、といったケースが数多く明るみに出たためです。
「倫理観が低い」「管理がずさんだった」と言えば、確かにその通り。つまりは運営会社側で、いかにアクセス数を増やして広告費で稼ぐかという金儲けの理念が優先していたということなのでしょう。読者に有益かつ正確な情報を提供するメディアとしての公的な役割は二の次で、どれだけ目立つ内容で客を呼び込むかに力点が置かれていたのかもしれません。
特定のテーマや価値観に基づいて、ネット上に溢れる情報の海から有益なものをすくい上げ、整理して分かりやすく見せるキュレーションサイト(まとめサイト)は確かに便利な存在と言えます。ただ、問題はどれだけ有能な書き手や情報を価値判断する人材を確保できるかにあります。
こうした人たちには当然ながら、それなりの見識が必要なはず。ではそうでない場合にはどうするか。そこはデジタル万能時代だけに、手っ取り早く他のサイトに載っている情報をコピー&ペースト(コピペ)すればいい、という気持ちは理解できます。そこに至った背景には、ウェブビジネスをめぐる競争と、なるべく教育研修などの手間をかけずに安い人材に仕事を任せたい企業側の安易な姿勢が垣間見えます。
ここからは憶測ですが、倫理・業務管理うんぬんの問題を超えて、自分の頭で考えたり地道に調べたりする手間を惜しんで、ネット上でのコピペに頼ってしまうのは、そもそも情報の増加するスピードに、情報の提供元である人間の能力が追いつかなくなってきた、という側面はないでしょうか。さらに言えば、SNSをはじめとする断片的な情報に常時接することで、まとまった文章を読む機会が減り、もしかすると知識の獲得や論理的な思考の妨げになっている可能性も否定はできません。
一方で、かつては「知識の高速道路」とも期待されたインターネットですが、今では玉石混交の情報が飛び交い、それらが再生産を繰り返す場とも化しています。
折しも、世界最大の英語辞典であるオックスフォード英語辞典が11月、2016年を象徴する「今年の単語」に選んだのは「ポスト・トゥルース(post-truth)」という言葉でした。日本人には馴染みのない単語ですが、「感情や個人の信念に働きかけるものに比べて、客観的事実が世論形成に影響をあまり及ぼさない状況」という意味だそうです。
単語としては以前から存在し、それが英国の欧州連合(EU)離脱や候補者同士が非難合戦を繰り広げた米大統領選を扱った記事などで、「ポスト・トゥルースの政治」「ポスト・トゥルースの世界」というような形で多用されるようになってきたとのこと。つまり、客観的事実がどんどん軽くなり、相対的に自分の考えや感情に合ったニュースを受け入れたい、といった層が増えてきているのでしょう。まるで現実が仮想化する逆転現象が起こっているようです。
だからこそ、個人個人が接する情報について鵜呑みにするのではなく、「玉」か「石」か、あるいはとんでもない偽ニュースなのかを判断できるような素養を身につけることが、これまで以上に大きな意味を持つようになります。
健全な批評精神によって、情報サイトも既存メディアも、そして読者自らも鍛えられ、それがより良い社会へとつながっていく。「ウェブ2.0」に始まり、「インダストリー4.0」「ソサエティー5.0」と、主にICT(情報通信技術)の進歩や、それによってもたらされる便利さ・効率性ばかりが喧伝される昨今ですが、情報化社会の主体としての人間の質の向上にも、それ以上に気を配っていく必要があります。今回の情報サイト問題は、その点にはっきり気づかせてくれたことが唯一の救いと言えます。(デジタル編集部長・藤元正)
(2016/12/12 05:00)