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2022年2月4日に91歳で死去した山口多賀司氏(非破壊検査創業者・社主)のお別れの会が、大阪市北区のヒルトン大阪でしめやかに営まれた(写真)。.....
山口多賀司氏(非破壊検査創業者・社主、2022年2月4日死去)のお別れの会 4月21日12時30分から大阪市北区梅田1の8の8のヒルトン大阪4階「金の間」で。... 主催は非破...
非破壊検査社主、元会長・社長 山口多賀司さん 新技術普及に尽力 モノを壊さずプラントを検査する非破壊検査サービスを日本で初めて事業化した。
非破壊検査(大阪市西区、山口多賀幸社長)は、創業者である山口多賀司社主の青年期を物語にした映像を制作した。... 2年近くかけて山口社主本人へのインタビューなどを実施。... 安全の実...
私の人生で最大の幸運は、この業種を選んだことだ。 1957年に創業して以来、構造物の検査ニーズの多様化、高度化に伴って当社は成長できた。それに安全技術サービス業は、好不況の影響を受け...
一子の山口多賀幸以外の後継者育成も考えていたが、できる限り息子に跡を継いでほしいと思っていた。 【後継者育成と社員教育】 多賀幸は1987年、同志社大学商学部を卒業...
1960年代の高度経済成長期には、非破壊検査を業務とする企業が雨後の竹の子のように数多く設立された。いまでは二百数十社ある。ただ、当社のようにあらゆる技術を持つ企業は少ない。
昭和30年後半から40年代は高度経済成長期を迎える。製造業の設備投資は年率20%近く伸びた時代で、非破壊検査技術による安全技術サービスの需要も、当社の業績も右肩上がりに伸びた。 ...
大阪に来て半年後の1957年(昭32)6月に、非破壊検査を設立した。本社は旭区赤川町のアパートの一室で、資本金は60万円だった。 【思いがけない“援軍”】 &...
生涯の恩師となる東京都立工業奨励館(現東京都立産業技術研究センター)の仙田富男主任研究員は、X線などによる構造物の非破壊検査技術を研究していた。 【非破壊検査で起業を...
小学2年生の時、母が東京都江東区で呉服商を営んでいた山口三男と再婚した。... 【略歴】山口多賀司氏(やまぐち・たかし、88歳)54年(昭29)工学院大学工卒、57年非...
非破壊検査(大阪市西区)社主の山口多賀司さんの強い思いで、男女混声のコーラスグループが大阪で産声を上げた。
非破壊検査(大阪市西区、山口多賀幸社長、06・6539・5821)は21日、創立60周年の記念パーティーとコンサートを開催した。... 山口社長(写真)は「60年のご厚...
【宮城産業人クラブ会長(工藤電機会長) 工藤治夫氏】 ○品質・コスト意識の徹底で10年9月期決算がリーマン・ショック以降、初の増収増益 ○自...
「これからの方が余計に忙しくなるんじゃないかと思いますよ」と切り出すのは、非破壊検査(大阪市西区)社主の山口多賀司さん。
次期社長の山口多賀幸氏は山口多賀司氏の長男。大石氏は草創期から山口多賀司氏を補佐し、同社の発展に尽力した。... 非破壊検査は57年(昭32)に山口多賀司氏が創業。