[ オピニオン ]
(2017/2/6 07:30)
さまざまな分野で応用への期待が高まっている人工知能(AI)。新しい医薬品を作り出す創薬もそうした分野の一つですが、昨年末に注目される出来事がありました。「The WISE(ザ・ワイズ)」と名付けたAI技術を持つNECが、AIの機械学習と生化学的な実験とを組み合わせることで、がん治療用のペプチドワクチン候補を発見し、それをもとに、大学や製薬会社などとがん治療薬の実用化を進めていくと12月19日に発表したのです。
ちなみに、ペプチドは20種類あるアミノ酸が数個から数十個結合した分子で、たんぱく質の構成要素でもあります。そこで、細胞ががん化することで量が増えるがん関連たんぱく質(がん抗原)の断片となるペプチドを免疫細胞の一種である樹状細胞に提示すれば、体内のキラーリンパ球の活動が活性化され、がん細胞を退治するという治療法が考えられてきました。
ただ、AI創薬は言うほど簡単ではありません。ここで問題となるのが、約5000億通りと言われる膨大なアミノ酸配列の中から免疫を活性化するペプチドを見つけ、さらにそれが多くの患者の免疫を活性化する汎用性の高いものであること。患者によって樹状細胞上でペプチドと結び付くヒト白血球抗原(HLA)の型が異なることも、創薬の上での障壁となっています。
これに対して、NECは、2001年6月に機械学習と実験を組み合わせ、膨大な化学物質の中から新薬候補物質を短期間かつ低コストで発見する「免疫機能予測技術」を開発しています。さらに、山口大学および高知大学との共同研究を通して、14年には肝臓がん、食道がん、乳がんなどで発現している2種類のがん抗原を対象に10種類のペプチドを発見、これらが日本人の人口の約85%をカバーする複数のHLA型に適合しつつ免疫を活性化することを確認しました。
続いて、山口大とはこうしたペプチドの効果を促進する免疫補助剤(アジュバント)を共同で発見。16年1月からは、同大でペプチドとアジュバントを使った複合免疫療法の臨床研究に入っています。
これに合わせてNECでは創薬事業に本格参入するため、がんペプチドワクチンの非臨床・臨床試験や実用化促進を担う専門会社のサイトリミック(東京都品川区)を設立。「今までのがんワクチンは効果が弱かった。今回のがんワクチンとアジュバントは注射するだけで副作用もなく、体に負担の大きい手術や抗がん剤、放射線治療に比べて患者さんが苦しまず、QOL(生活の質)を高く保てる」。NEC出身でサイトリミック社長の土肥俊さんは、ペプチドワクチンの効能をこう強調します。
NEC事業イノベーション戦略本部ヘルスケア戦略室ペプチドグループの宮川知也さんによれば、12月の発表以降、複数の製薬会社からの「詳しい話を聞かせてほしい」という問い合わせに加え、抗がん剤の副作用で苦しむがん患者の家族から、激励の声も寄せられているとのこと。こうした反響に、土井さんも「製薬会社のパートナーを見つけながら、2025年には世の中で使えるようにしたい」と将来を見据えています。
元々のNECの取り組みとしては、91年に中央研究所で機械学習の基礎研究に着手し、98年には高知大と今回のアクティブラーニング(能動学習)によるペプチドの免疫機能予測の共同研究を開始。01年にペプチド予測の有効性を発表しました。
一方で、国際協力プロジェクトのヒトゲノム計画により、人間のゲノム(全遺伝情報)を構成する塩基配列のドラフト(下書き)版が00年に、続いて03年に完成版が公表され、ゲノムに基づく病気の治療やIT創薬が世界的に盛り上がりました。とはいえ、遺伝子の「構成部品」がわかっただけでは容易に創薬には結びつかず、NECも06年ごろには創薬事業をいったん凍結しています。
そうしている間に、高知大の宇高恵子教授、山口大の岡正朗現学長ら医学研究者との共同プロジェクトで成果が出始め、12年には事業イノベーション戦略本部で創薬事業を再開することに。97年から、NECで機械学習およびバイオIT分野の研究のマネージメントを担当してきた土肥さんも、それまでのAIおよびバイオITでの蓄積と、産学連携に積極的な医学研究者との出会いが今回の成果につながったと実感しているようです。
いくら技術が優れていても、残念ながら、それだけで世の中を変えるイノベーションにはならないのが世の常。技術とタイミングと異なる分野の人や組織とのつながりが、「ケミストリー」とでも呼べるような相乗効果を発揮することがあります。永年、研究開発に力を注ぎ、豊富な知財と人材、ネットワークを持つ日本の大手企業には、そうした「資産」を抱え込むだけでなく、時には外に切り出して、イノベーションにつなげていってほしいと期待します。(デジタル編集部長・藤元正)
(2017/2/6 07:30)