[ オピニオン ]
(2018/5/3 05:00)
国会の中で、憲法「改正」機運が高まっている。どう改正すべきかという中身の議論ばかりが先走って、どういう国を目指すのかという大きな視点が欠けているのではないか。なぜ憲法を見直さなければならないのかという原点に返って、将来の国のあり方を見極めていく冷静な議論がなされるべきだ。
言うまでもなく、憲法は国づくりの基本の考え方だ。国の政治の基本を定め、国民の権利や国家の統治に関する規定と言える。国家は国民の生きる権利を確保するとか、国民の自由を侵害しないといった、「国家がやるべきことと、やってはいけないこと」が定められている。いわば国民と国家の「約束」だ。
憲法の源流は、1215年に英国で制定された「マグナ・カルタ」にさかのぼる。国王が勝手に国民に課税したり、理由無く国民を逮捕したりできないよう、国王の権限を縛るのが狙いだ。今の日本国憲法も根本的な考え方は同じだ。憲法を改正するということは、国王の権限の範囲を変えるということに他ならない。
安倍晋三首相および自民党の案では、平和憲法の基本部分である9条を改正する意向を示している。「実態に合わなくなってきた憲法9条を現実に合わせて改正する」というのが表向きの狙いだ。もちろん、国民や国民の財産を守る軍隊は必要だ。その人員は、増えることはあっても減るということはない。当面、自民党案では「徴兵制は敷かない」としているが、将来どうなるかは不透明だ。
産業界も漠然とした不安がある。戦争しないことを誇ってきた国がたとえ「後方支援」という名目でも世界中どこでも“自衛軍”を派遣し、「敵国」を事実上攻撃する事態はありうる。米国のような軍産複合体が進展し、健全な産業振興、経済の活性化が阻害される懸念もある。防衛予算は膨らみ、肥大化した予算をまかなうため、増税路線が強行される可能性も高い。
こうした国の未来図を描きながら、平和を追求してきた偉大な「憲法」の理念が生き続けることを願ってやまない。
(2018/5/3 05:00)