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(2019/3/26 05:00)
3月21日は日本バルブ工業会(中村善典会長=金子産業社長)が制定した「バルブの日」。バルブはインフラ設備や産業プラントなどで流体制御の要として高い品質、安全性、信頼性が求められる重要機器だ。多くの産業技術が高度化・複雑化する中では、各専門分野単独の知識・ノウハウのみでイノベーションを起こすには限界がある。他産業、さらには学界など“外の世界"との交流が不可欠になる。今回の「バルブの日」特別対談では流体工学の第一人者であり、科学技術振興政策についても造詣が深い松本洋一郎東京理科大学学長を訪ね、バルブ産業にイノベーションをもたらすための手掛かりを探った。
産業技術が高度化・複雑化 “外の世界”との交流不可欠
奥津 日本バルブ工業会は創立65年で、(1)バルブ(2)自動弁(3)水栓―の3部会からなります。正会員は116社で、歴史的に高温、高圧、腐食・漏洩(ろうえい)対策、自動制御要素、環境性能、などの視点からさまざまな技術開発を進めてきました。喫緊の技術課題として、例えば保全・診断技術、低騒音・低振動化、小型化、製造技術、IoTなどがありますが、ほかの産業と比べて動きは遅いかも知れません。
バルブという流体機械は多種多様で、コンビナート1施設の調節弁だけで平均5000台は使われています。仕様は多岐にわたり、管理が煩雑です。ライフ・サイクル・マネジメントとして、オントロジー(体系学分類学)に基づくデータ電子辞書作りを進めています。
昨年の対談で、霊長類研究者の松沢哲郎京都大学特別教授とお会いしたとき、「人とは何か?」を考えなければいけないと気付きました。科学技術は機械学習などが急速に進んでいますが、人間としてそれで幸せになっているのだろうか。ギャップがどんどん開いているのではないかと感じています。
松本 バルブとの関わりとしては、以前流量特性の測定や、真空バルブの隙間とリーク量を計算したことがあります。真空中ではグリースが飛んでしまい、バルブが摩擦で動かなくなるようなことが起きます。キャビテーションが発生し、エロージョンを起こしてしまうことも重要な課題です。
奥津 流体は千差万別で、工業会としてはそれに全部対応していかなければなりません。キャビテーションの研究は終わっているわけではありませんが、昔ほどなされていないように思います。
松本 キャビテーションは起きる条件になれば起きてしまいますので、完全に抑えることは無理でしょう。キャビテーションが起きても、流れをうまくコントロールすることでエロージョンを起こさないという方法もあると思います。
心臓の弁もバルブですが、この弁を人工物に置き換えたときに血液のキャビテーションを起こすことがあります。弁とキャビテーションの関係を計算して最適な弁を選んで治療計画を考える医師、研究者もいます。
奥津 我々と医療系とはお互いあまり知りませんので、そういう交流もよいですね。
松本 理想的なバルブはどういうものですか。
奥津 それについてはいつも矛盾があると思っています。通常の流体機械はエネルギー変換効率が高いほどよいとされますが、バルブは逆です。エネルギーを消耗させる負のプロセッサーとして働きます。圧損が生じないとバルブの役割を果たせないからです。
学生の皆さんはどのようなことに関心を持ちますか。
松本 例えばバルブの中でキャビテーションも起きていないのにエロージョンが起きているという現象があれば、それはどういうことなのか。通常では起きないようなことが起きていれば、それを解明しようとなります。
大学教育、考える力の養成重要に
奥津 機械学習、AIなどが大きな関心を集めていますが、どのようにお考えですか。
松本 深層学習はブラックボックスだが答えは出ます。たくさんのケースでインプット・アウトプットを入れることで、人工ニューロン間の結合強度が決まり、正解が出せるようになります。
奥津 我々はそれを使いこなせるのか、使われるのか。しばしば何でも「AIを使えばよいではないか」と言われます。5000台のバルブそれぞれにセンサーを付けて、1年もすれば学習できるだろうと簡単にいわれますが、それにはもとの物理現象を分かっていなければなりません。バルブは大きさ、形、流れ方など、一つひとつが全部違うのです。
松本 いつかはCADでバルブを設計すると計算によって特性が分かり、逆に必要な特性を入れれば形状が決められるようになるかもしれません。たくさんの逆問題を解き、深層学習で分かるようになりませんか。
奥津 ソフトセンサーという手法もあります。解析的数式がなくても統計的なデータがあればモデルを作れるといいますが、そこでしか使えません。ほかのプロセス、ほかのプラントには転用ができません。物理的本質を避け、なんとなくの傾向ではプラントの安全を保証できません。世の中、さらには経営者もAIで簡単にできるような期待を言いますが、そこにもギャップを感じます。
先生が大学教育で感じるギャップはどのようなことですか。
松本 我々が扱っている現象はどんどん複雑になっています。内容の理解には複雑なロジックをたどっていかなければ到達しません。そこを教えるのは時間がかかり難しい。入学から卒業までに、できるだけ基盤的な部分を教えて、考える力をつけてほしいと思います。
大学としてやりたい・やらなきゃいけないことは、卒業して社会で経験し、まだ足りない部分があるという問題意識を持って戻ってくる人、課題を持ってくる人を受け入れる体制整備です。そういうフィードバックループが回れば、社会の課題を解決し続ける大学になれます。
産業界の研究交流網 活性化を
奥津 社会に出た人が普通に講義を聞き討議できるようになれば、産業界も強くなります。なぜいままでインタラクションがなかったのでしょうか。
松本 これまでは企業のOJTでだいたい済んでいたからでしょう。だんだんハイテク化してきて、習ったことのないさまざまな問題に直面する。そのベーシックな部分を大学で勉強し、一緒に研究して現場に戻っていくようなことが必要でしょう。
奥津 それはお金も時間もかかります。「損して得とれ」という余裕を企業は考えるべきですね。
松本 でも早い成果を求められる。
奥津 だから設計・開発がいっそうシュリンクしてしまう。ただコストを下げるだけになり、人減らしする。
松本 その流れは日本の産業界にとってまずいことです。グローバルの中で日本の競争力が失われてしまう。
奥津 今やバルブの設計も近隣他国のほうがうまくやっているくらいです。小さな会社でも立派な流量実験設備などを備えており、それが力になっています。
松本 AI分野を見ても、中国は研究に莫大(ばくだい)な資金を投入し、人もたくさんいて、一見無駄に見える研究もたくさんしている。その中から芽が出るものがあれば、そこに集中させます。「おもしろそうだ」と思ったことを研究する環境があります。
奥津 日本は企業の閉塞(へいそく)感が強いです。工業会も大学とのインタラクションを考えながら、何かやっていかないとなりません。
松本 例えばバルブの中の流れのどこにどんな問題があるのか、産業界から持ち込んでください。それを解析し、モデル化し、計算と実験の結果から解決手法を見いだす。産業界が抱えている問題をうまく解釈して、基礎に落とし込んで研究するというループをたくさん作ることが肝心です。
奥津 現在うまくいっている産業分野はありますか。
松本 例えば電池。自動車産業はどこをどうしてほしいのか、具体的に示します。その結果、性能がどんどん向上しています。
奥津 バルブ工業会もネタはたくさんあるのですが。
松本 それをうまくかみ砕くことが必要です。東京理科大は持ち込まれた問題について、リサーチアドミニストレーター(URA)が誰に相談すればよいかを答えるワンストップサービスをやろうとしています。
奥津 例えば物質・材料研究機構(NIMS)は精力的に活動していますが、バルブ業界は接触もなくパイプもありません。
松本 パイプを作ることは重要です。それぞれの組織がサイロに閉じこもって外に情報を流さない傾向があります。経済産業省系の工業会の問題が文部科学省系のNIMSにつながるようにすることが大切です。
奥津 いままでそういうネットワークがありませんでした。
松本 機械工学もいわゆる機械だけでやろうとしても閉塞感が出てきてしまって、医療などに目を向けはじめました。医療の世界の常識と我々の常識は異なるものです。材料の観点も違います。どのような表面処理なら生体適合性がよいのか。摩擦が低いという特性ならば、それを機械にも使ってみようと新たな展開が生まれます。
奥津 先生は以前、産業競争力懇談会(COCN)に参画していましたが、そうした場で閉塞感を認識しませんでしたか。戸惑っている若手技術者が大勢いるいま、早くネットワークを活性化して、つなげてあげないと無益な時間ばかりが流れてしまいます。
松本 例えばきわめて特殊なバルブをターゲットにして、「これを技術開発しよう」と資金を投入すれば、そこに新しい技術が生まれるでしょう。
奥津 それなら航空宇宙用の小さなバルブがよいでしょう。
松本 COCNなどが国プロとしてそういうことを提案し、バルブ工業会がそこに結集する。国が資本を投下し、研究者を集める。
奥津 コンソーシアムができ、成果が生まれれば日本の技術という流れになります。
松本 もう一つは例えばバルブ工業会からいろいろな情報を収集するためのリエゾンに人を送り込んで、情報を橋渡しするのです。そうした仕組みを工業会が持ってもよいのではないですか。
奥津 研究についてはそういう仕組みの検討が必要です。
松本 多くの大学の産学連携組織はそうした活動をしていると思います。学会となると散漫になるかもしれません。
医薬分野では創薬支援ネットワークが組織されています。学界にあるおもしろいシーズを皆でスクリーニングするようなシステムで、薬になるかもしれないというものがあれば、社に持ち帰るのです。実際に薬となった例もいくつか出てきているようです。
目利き力ある人材育成カギ
奥津 日本機械学会にはそういう仕組みはありますか。
松本 機械学会では研究協力(RC)分科会というものがあります。企業からテーマを出してもいいと思いますが、「隣の人に聞かれたら嫌だ」という心理が働くのかもしれません。問題点、課題を整理して大学に相談するのがよいでしょう。
東京理科大も単独では難しいので、大学や国研などとも組織と組織で提携しています。
奥津 そういうところに企業が入っていくわけですね。
松本 成果物、特許をはじめとする知財の振り分け方などについては前もって考えておかないといけません。
奥津 会社で技術者倫理を教えています。先生が東京大学におられた時期に「実験ノートがないのでは、もはや科学ではない」とテレビ番組で発言していたのが印象深く、その時の様子を講義の視聴教材としています。
松本 研究は性善説で成り立っています。意図してだますようなことはもってのほかです。
奥津 その後いろいろな大学で次々に問題が明らかになり、お金の問題も発覚しました。一方、上場企業も品質検査のデータ改ざん問題などが続発し、さらには監査機関までもが工程を省略し審査書類を作成していたという事件もありました。
松本 だからこそ研究は透明性を担保し、データはオープンにして第三者が検証できるようにするのです。それが科学を支える根本原理なのです。
奥津 コスト優先、競争至上主義に突き進むと道を外してしまいがちです。「人間とは何か」を見つめることが大切です。
学界と産業界とのギャップはどういうところにあると思いますか。
松本 イノベーションが起きるプロセスでよくいわれるのは、基礎研究と応用研究の間の「魔の川」、応用研究から製品にいたるところの「死の谷」、製品が市場を席巻するには「ダーウィンの海」が横たわっています。それぞれの間にあるギャップを埋めるために介在するプロジェクトマネージャー(PM)という仕事があります。応用研究者につなぐため、基礎研究者に方向を示すというようなことを担う人材が必要です。
トヨタ自動車のAI研究のPMに著名な米国人が就いて話題になっていますが、日本にはそういう人材が不足しています。最近では、ホンダジェットの藤野道格さんがプロジェクトを牽引(けんいん)され大きな役割を果たした好例だと思います。
奥津 PMの人材は国内にはいないのでしょうか。育てなければならないのでしょうか。
松本 科学技術振興機構(JST)では研修制度で育てようとしています。PMの少し手前といったところですが、その彼らがある種の目利き力をもって、このギャップを埋める仕事をしていくことになるでしょう。
科学技術が進展して、それが本当に人間の幸せにつながるのか、誰がつなぐのかをみんなで考えていくことが大切ですね。
奥津 キーマンを育てる必要があります。ギャップを埋める重要性について、社会は認識しています。
松本 日本の科学技術と産業界は、サイロの壁を破ってつなぐ橋渡し、あるいはサイロをつぶして融合させることを、皆が今すぐ始めなければならない状況におかれているのです。
奥津 本日はありがとうございました。
(2019/3/26 05:00)