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深層断面/イグ・ノーベル賞のバカにできない魅力−深淵なる科学への誘い

(2016/11/23 05:00)

日本人のノーベル賞連続受賞で基礎研究の重要性が見直されている。経済性で直ちに価値を計れない科学をいかに支えていくのか、議論は尽きない。一般人が科学の深淵(しんえん)をのぞき込むと、その奥深さにおののくことがある。これはヒトが暗闇を恐れるのと同様、自然な反応だ。一方、人を笑わせ、考えさせる研究を表彰するのが「イグ・ノーベル賞」だ。人をひきつけ科学の深淵に誘う魅力がある。市民参加型の学術や研究エコシステムの中核に化ける可能性がある。(小寺貴之)

  • 「股のぞき」による視覚の変化の研究で、イグ・ノーベル賞を受賞した立命館大の東山篤規教授(9月22日、米ハーバード大=時事)

■科学を支える仕組み不可欠

【「役に立つ」】

「社会全体で基礎研究を支える仕組みが必要だ」―。ノーベル生理学医学賞の受賞が決まった東京工業大学の大隅良典栄誉教授の言葉に基礎研究者の多くがうなずく。多様な研究テーマを無闇に絞り込めば、基礎研究が実を結ぶ確率は低くなる。自明の理だが、基礎研究への投資を維持するのは財政上の制約などから簡単ではない。経済的な価値を計れない研究が優先順位を上げるのは難しい。

また科学に実用性を求めた結果、研究者が研究予算の申請書に「役に立つ」と記入するようになった。北里大学の馬渕清資名誉教授は「国際的な論文を査読していても、本当に役に立つ研究は数年に1本あるかどうか。だが専門家はだませなくても、官僚や政治家の目を欺く文章力が研究者に養われた」と指摘する。こうした状況で基礎研究の予算を増額するだけでは健全な状態になるのか疑問符が付く。競争と経済効率だけでない、科学を支える仕組みが求められている。

【文化的価値】

ノーベル物理学賞を15年に受賞した東京大学の梶田隆章特別栄誉教授は、「我々の研究は人類の『知』の地平線を広げる仕事」と表現する。小説や音楽、スポーツ、芸能などと同様に科学も文化的な価値を持つ。科学が小説などと違うのは創作経験者の規模だ。

経験者が限られる科学は、分野ごとに細分化し深化してきた。科学を楽しみ、支持する人口は多くない。そこで注目されているのがイグ・ノーベル賞に代表される研究だ。バナナの皮が滑る原理や、ピカソの絵を見分けるハト、迷路を解く粘菌など、笑えるテーマで科学に誘い、その奥深さを面白く見せる。身近な現象にテーマを見いだし、手軽な研究を始める人を増やした。市民参加型の学術形成に一役買っている。

研究は大学だけのものではなくなった。研究の場は自宅のデスクやハッカソンなどに広がり、成果発表の場はウェブや動画投稿サイトにまで拡大している。研究に秩序がなく、その品質も保てないが、速度と拡散力は既存の学術をしのぐ。津田塾大学の栗原一貴准教授は「競争相手としてヒヤヒヤしている。研究者が論文を数カ月かけて書く内容を数日で作ってしまう。あのペースについていかないと」という。大学と市民参加型の研究が交わり、質と速度を高める仕組みが模索されている。

科学の楽しさを体験すると研究の難しさを実感する。科学を楽しめないのは教養が足りないことよりも、経験がないからだ。一歩踏み込めば深淵の奥底で戦う研究者に共感でき、研究者の誤りにも敏感になる。

イグ・ノーベルな研究を核に基礎研究を支える文化が育つかもしれない。

■受賞者に聞く

【慶応義塾大学名誉教授・渡辺茂氏「基礎研究は多様性」】

  • 慶応義塾大学名誉教授・渡辺茂氏

基礎研究も「役に立つ」と申請書に書かないと予算をとれなくなった。すべての研究が初めから実用を考えなくてもよい。基礎は多様性が重要だ。実用を求めてバイアスが働き、脳科学は精神疾患治療のための研究になってしまった。研究の幅が絞られている。多様性を保つには、ある程度はバラマキが必要だ。

若い研究者がどう育つか心配だ。基礎研究者が「お役に立ちます」と屁理屈をこね続けていると、いつのまにかそれが自分でも本当に思えてきてしまう。実用研究はそのための専門性が必要で、そのための専門家を養成すべきだ。先進国しか基礎科学を支えられない。科学は人類共通の財産だ。米国のすべてをビジネスに結び付ける文化を日本がまねる必要はないだろう。

【北海道大学教授・中垣俊之氏「本当に面白い研究を」】

  • 北海道大学教授・中垣俊之氏

中高生に「それで世間に通るのか」と問われたことがある。一方「こういう面白い研究こそ、もっとやってほしい」と伝えに来てくれる人も少なくない。研究者は自分が面白いと思うことを信じるべきだ。面白いと思ってくれる人は必ずいる。

私は人の考え方や世界の見方を変えてしまう研究がしたい。いまは「役に立つ」とさえいえれば、そこで思考停止してしまう。基礎研究者は「役に立つ」に逃げずに本当に面白いか自問すべき。新しさや役に立つかで評価するよりも本質への挑戦を促す方が建設的だ。

研究するには大学レベルの知識が必要だが、科学を楽しむには高校の知識で十分。身近な現象もまだまだわからないことばかりだ。科学のフロンティアはあちこちにある。

【津田塾大学准教授・栗原一貴氏「想像力の限界に挑め」】

  • 津田塾大学准教授・栗原一貴氏

インドにはサドゥーという修行僧がいる。常に片手を挙げ続けるなどの苦行をしていて人々は尊敬し、人生を相談する。科学も似た部分がある。研究者がこの世の可能性を探求することで、普通の人は悩まずに自分のことに集中できる。

研究者なら技術の応用は幅広く用意すべきだ。スピーチジャマーは自分の声が遅れて聞こえると話しづらくなるという現象を、マナーを守らない人を遮る応用として提案した。大型会議の進行管理やプレゼン練習など、市場の大きい応用からニッチ利用、反社会的なものまで考えた。

研究は想像力の限界への挑戦だ。根性や苦労、大型予算が必要なわけでもない。のびのびと健全に好奇心を育むべきだ。萎縮すれば発想の多様性は狭まる。

【北里大学名誉教授・馬渕清資氏「実用のみの弊害」】

  • 北里大学名誉教授・馬渕清資氏

学生には実用の混沌の中から上澄みをすくい取れと指導している。本来その程度しか科学たるものはない。問題は実用性を求めた結果、ほぼすべての研究が役に立つふりをするようになったことだ。国際論文など年間30―40報を査読していても、本当に役に立ちそうな研究は年に1本もない。それが役に立つのか、議論すべきかもわからない研究が多い。

研究者が論文数を追い、面白いか考える余裕もなくなっている。米国も同じ構造だ。先進国の物質的な豊かさはほぼ飽和してしまった。実用のみを求めても弊害が大きくなる。科学には文化的な価値もある。精神世界を広げる力を尺度に評価してはどうか。一番わかりやすいのが笑いだ。洗練された話芸は観客の発想を転換させる。

(2016/11/23 05:00)

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