(2024/4/23 05:00)
1年間の連載の終わりに、日刊工業新聞社からの依頼で、私自身のキーエンス社での過去の経験を番外編として2回寄稿することになりました。キーエンス社では、中国と米国の現地法人の責任者を務めた経験を通して、多くの学びと反省を得ました。キーエンスの哲学の一つに「過去を振り返らない」がありますが、時には個人として過去を振り返ることもよいかと思い、筆を執ることにしました。ここに記載する内容は、あくまで私個人の経験とその感想であることをご了承願います。
キーエンス時代 直販体制は非効率との戦い
■キーエンス社における3段階の海外展開
キーエンス社の成長の原動力は、新商品を創り続けることですが、それは直販体制があって初めて成り立ちます。そして、売り上げ構成比が6割を占める海外に直販組織を展開できていることが他社にまねできない最大の要因となっています。同社の海外展開は、大きく三つの段階に分かれます。第1段階は「海外に拠点を作る」、第2段階は「キーエンス社特有の直販組織を作る」、第3段階は「海外市場を商品の企画、すなわち事業に取り込む」です。
求められる人材は第1段階が語学ができる人材、第2段階は国内の営業経験が豊富な人材、そして、第3段階はマーケティングができる本社事業部とつながる人材でした。振り返ると第2段階を最初に本格的に行ったのは中国で、第3段階は米国でした。私自身は、第1段階の海外要員として採用されましたが、結果的に、第2段階、第3段階を最前線で経験することができました。その際、周囲の人たちに助けられると同時に、その方たちから、多くのことを学ぶことができました。今回の番外編1回目は上記の第2段階を、中国での直販組織の基礎固めで行ったことについてお話しします。
一般的に、FA(自動化)業界では代理店営業は必須です。自動化設備の構築には多様な部品が必要で、その部品の理解や選定は簡単ではありません。代理店はメーカーと顧客の中継役を担い、多様なメーカーの部品を、深いコミュニケーションを通して顧客につなぎます。これに対して、直販営業は、自社製品のみを紹介するために、効率がとても悪い。例えば、数万円のセンサー一つを販売するのに、多くの顧客の工場に出向いてPRしても興味を持つ顧客は決して多くはない。直販体制を構築するというのは、すなわち、この非効率性との戦いです。
■神澤さんとの出会い
2001年、私は中国の現地法人の責任者として任命されゼロから大きな成長を遂げましたが、この成功は、神澤修一さんという方との協働によるもので、彼の支援がなければ成し遂げることはできませんでした。当時、32歳の私に対して、神澤さんは10歳年上の42歳でした。社員の平均年齢が30歳前半の当時、42歳は超ベテランです。神澤さんは1980年代から90年代にかけてキーエンスの直販組織を日本で構築する中心人物でした。彼は営業パーソンとしてもマネージャーとしてもナンバーワンの成績を収め、エリアマネージャーとしても多くのスタッフを率いました。彼にとっての当たり前の行動は、当時の私にとっては衝撃的でした。
■量と質
02年当時、キーエンスはハードワークで知られていましたが、神澤さんの指導方法は単にハードに働くことを要求するのとは異なりました。彼は実践的なHowを教え、例えば前日に電話先リストを準備する方法や、移動効率を高めるアポイントの取り方などを伝えました。彼は活動量が業績にどう影響するかを簡潔な数式で示し、経験を積むことの重要性と、それが将来の成功につながる理由を丁寧に説明していました。また、彼は、新しいマネージャーに対して必ずこう言っていました。「新入社員に量ができるようになる前に質を求めると、量ができない人間になる。だから、まず量ができるように育て、そこに質を加えるのだ」と。
中国現法を設立した当初、キャリア採用された多くの社員は「中国での営業は人間関係がすべてだ」と口をそろえて主張しました。しかし、神澤さんは「営業の最も大切な仕事は商品の良さを100%伝えること」と説き、これを実現するため商品を通じた価値伝達に注力しました。彼は悪印象を避けるために白いシャツとネクタイの定番服装を推奨したものの、それ以外は、あくまで商品を伝えるために、商品のデモの練習や、商品に対する質疑応答スキルをあげるためロールプレーイングを通して徹底的に鍛え上げました。
ロールプレーイングは、営業と顧客の役割を演じてさまざまなパターンの練習を重ねることですが、それを海外で実行・定着させることは容易ではありません。中国でこの習慣が定着したのは、神澤さんの「商品の価値を100%伝える」という信念の強さのたまものでした。そして「商品の価値を100%伝える」ことは、営業業績の向上だけでなく、新商品を企画する上でも非常に大切な要素です。なぜなら、価値が100%伝えられるからこそ、何が足りないかが明確になるからです。
徹底・浸透があって初めて施策は実現する
キーエンス社では、効率的な営業活動を追求するために「営業施策」という活動を繰り返し行います。営業施策とは、利益増加の余地を探り、その余地に対して見込み顧客を選定したり、伝える商品の特徴を変えたり、する活動です。そのプロセスや結果を評価するため、訪問や商談件数、商談売件数を数え、これらのデータを基にして結果を振り返り、施策を進化させます。これは、施策のPDCA(計画、実行、評価、改善)と言われる手法ですが、PDCAは、eコマースやデジタルマーケティングでは一般的に実践されていますが、人が介在する営業ではまだまだ実行できているところはほとんどありません。
営業施策が実行できていない最大の理由は、施策を行う人々の足並みがそろわないためです。施策を成功させるには、全営業担当者の行動が一致している必要がありますが、一部の営業社員が積極的に施策を実行しても、他の社員が参加しなかったり、異なる方法を試みたりすると、組織全体としての成果が測定できません。したがって、全員が決めた施策に徹底的に取り組む風土を組織に浸透して初めて実行可能となります。
中国において、神澤さんが最初に取り組んだのはこの徹底する風土を確立することでした。彼の方法は、新しい事項に一度に取り組むのを一つだけ限定し、それが習慣化するまで最低3週間、時には数カ月をかけるというやり方です。この辛抱強い取り組みを通じて、組織には施策を行う文化が根付き、PDCAの効果的な実行が可能になりました。
書店に行けば、営業やマネジメントにさまざまな手法が提唱されています。一見、それを取り入れると業績が上がるような気がしますが、実際には、「営業が量を行う」「商品を100%伝える」、そして、「決めた施策を着実に行うこと」が必須で、それがなければ絵に描いた餅になります。神澤さんが行ったことは、営業組織をゼロから構築する際に、その最も大事なことを忍耐強く続ける大切さを教えてくれました。
次回、番外編2では、中国、米国を通して学んだ、リーダーの育成と海外市場に適した事業について、お話ししたいと思います。(次回は5月8日に掲載します)
菅原伸昭
【略歴】すがはら・のぶあき 京都大学農学部、慶応義塾大学経営大学院卒。日商岩井(現双日)を経て、キーエンス入社。中国、米国などの現地法人責任者を歴任。その後、THK執行役員を務めた後に起業。2023年現在、B2B Makers共同代表。コンサルティング、クラウドシステム構築、Web3開発を行う。
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