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記事検索結果
3,390件中、132ページ目 2,621〜2,640件を表示しています。 (検索にかかった時間:0.006秒)
大日本印刷に入社2カ月後に大手広告代理店へ出向した。ノウハウに触れ、90年代後半には大日印が出資していたデジタル衛星放送局で番組コンテンツを販売するなどユニークな経歴を持つ。社長就任にあたり「新市場を...
初代の祖父から数えて3代目。「2代続けて技術畑の経営者だったおかげで、難形状や難削材の加工などに強みを持つ。これを伸ばしながら財務、営業面も強化する」と抱負を語る。
米国企業の日本法人社長から現職に転じた。 「米国企業は四半期ごとの業績など早期に結果を求められたが、長期的な視点で事業を進めるドイツ・イグスの経営方針に共感した」といい、新天地に選ん...
世界的な医薬品メーカーで知られる仏サノフィ・アベンティスのワクチン部門の日本法人。ワクチンは感染症を予防できることから国の医療費削減にも貢献するため、日本でも導入が進む。 サノフィパ...
「私が子どもの頃に父が亡くなり、先々代の社長の遺言で」。高田竜一郎社長は就任の経緯を明かす。幼少から社長を意識して育ち、大学卒業後は約5年間、同業他社に勤めた後に入社した。
創業者の林繁蔵会長(前社長)の長男。会長が75歳を迎えた節目にバトンタッチした。高圧洗浄機による工場設備の洗浄業務が主力。
高周波と光伝送の技術開発企業。創業者で40年間社長を務めた田島瑞也現会長からバトンを受けた。専務時代に「次いくぞ」と告げられていたが、第7次中期経営計画半ばでの交代だけに「正直、びっくりした」。
大学を卒業後、シバソクで営業部門を経験し、父の阿部隆義氏(現会長)が経営するエービーイーダイヤモンドに入社した。製造現場、営業、企画部長、専務と役職を重ねて13年間が経過した。この間、...
米デュポンから出向していた2009年春、鈴木裕生会長から社長含みで転籍を誘われた。「グローバル企業のデュポンでは規模が大きいだけにやれることも限られる」と打診を受け入れた。 デュポン...
小林秀晴社長は37歳で就任。小林輝男会長(前社長)は38歳で創業者から社長を受け継いだ。小林製作所では、後継者が37、38歳の時に世代交代するのが自然の流れという。
継母の近藤幸子社長の急逝を受け、社長に就任した。「先代は就任後まもなく直面したリーマン・ショックで本当に苦労してきた」と振り返る。その中にあって「新社屋を建設し、まさに反転攻勢に出る矢先だっただけにど...
経営陣若返りの一環で松浦徹社長(現会長)からバトンを受けた。消費者金融のレイクでシステムエンジニアとして活躍。明るく飾らない性格で「あまり技術者らしくない、と言われた」と笑う。 ...
ショウワテクノは精密板金加工と大型製缶加工を手がけており、工業用洗浄機・業務用食器洗浄機メーカーのショウワ(兵庫県尼崎市)と両輪で事業展開している。両社の会長を務める藤村庄市氏の長男。...
実父の伊藤勘作会長(前社長)の長男。管理部門を2年間経験し、会社の運営を学んだ。35歳と若いが「副社長時代から社長になる心構えはできていた」と打ち明ける。
八雲製作所は産業・自動車部品のプレス加工を手がける。父で前社長の久保勉会長を引き継ぎ4代目社長に就任した。「先が読めない」時代に対応するため若返りにあわせて、ユニプレス出身者を副社長として招くなど体制...
高校生の時から現場に出入りし、夏休みはアルバイトに明け暮れた。「部品洗浄ばかりだったが、時給も良かった」と振り返る。父の金子憲男現会長から家業を引き継ぐ覚悟はできていた。
実父の大羽良晴前社長(現会長)と4―5年前から「業績が良くなった時に社長を交代しよう」と言い交わしていた。2011年7月期の売上高は表面実装機部品の受注増などが功を奏し、過去最高の54...
「台湾をベンチマークに技術提案力で海外市場を開拓する」と意気込む。膜厚センサーの製造販売に加え、センサーのリサイクル事業を通して光学フィルターメーカーに成膜技術を指導する。 台湾企業の開発部門...
川崎重工業時代は約30年間にわたり、調達部門で大型プラントの契約を担当した。入社5年目のアルジェリア赴任を皮切りに、契約交渉に世界各地を飛び回った経験を持つ。 川崎エンジニアリングに...