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記事検索結果
3,390件中、137ページ目 2,721〜2,740件を表示しています。 (検索にかかった時間:0.005秒)
実父の林喜好前社長(現会長)の二男。液晶ディスプレーの営業を7年間経験し、管理部門で会社運営を学んだ。45歳と若いが「30代後半からは社長になる覚悟で仕事に取り組んできた」と社長就任の...
大和銀行(現りそな銀行)ではホールセールやリテール業務のほか、情報システム開発を担当。旧あさひ銀行との合併に伴うシステム統合プロジェクトの責任者も務めた。「銀行での役員経験は(...
シンマルエンタープライゼスの創業者であり、実父の新丸哲哉前社長の逝去に伴って登板した。これまで副社長として活躍。トップ昇格後も仕事上の変化はなく、「戸惑いは少ない」と自信をみせる。
「ハイテクという言葉はもう古いのかな」と苦笑いする。コンピューター産業にあこがれ、大卒後、半導体業界の門をくぐった。「足踏みしていると置いて行かれる。
創業者の諏訪部喜義相談役が父親。「日本で一番古いフッ素樹脂表面処理会社として五十数年の伝統を受け、身が引き締まる思い」と気合いを入れる。 3年間の米国留学(サフォーク大学...
NTT西日本とオムロンが共同出資した家庭向け省エネ支援サービス会社の初代社長に就いた。消費電力や、太陽光パネルでの発電量を計り、計測状況をウェブ上で見る仕組みを構築済みのため「今後はきちんと販売網をつ...
親会社の西部ガスから社長に就任した。柱は棒状ラーメン、長崎皿うどん、長崎ちゃんぽんの「3本の幹(みき)」。2010年に設立50周年を迎え、「使命は次の50年の土台づくり」と意気込む。&...
溶接関連機器メーカーと産業機械販売商社―。ナ・デックスは二つの顔を持つ。主要顧客である自動車関連が新興国を中心に海外展開を加速する中、「特に東南アジアで引き合いが増加している。
1839年(天保10)に砂鉄製錬法による鉄材(和鉄)問屋として創業。1869年(明治2)に関西で初めて欧州から鉄鋼を輸入し、鉄鋼商社の道を歩んできた。創...
携帯電話などの通信機器向けプリント配線板の加工事業や、電子部品の防湿、防さび効果があるフッ素化成品の開発を手がける。2011年4月期の売上高33億円のうちプリント配線板加工事業が65・9%を占...
大手システム会社に入社したものの父の基氏(現会長)に「ランプを必要としている人たちの役に立ちなさい」と一喝され、跡を継ぐことを決意。文系出身ながらモノづくりにひかれ技術部長を経て社長に...
岳将(たけしょう)は超音波スピンドル加工機など超音波加工機メーカー。創業者で父の義弘氏から社業を引き継いだ。製造から営業まで業務のほとんどは経験済み。
「産業機器・工具商社は取り扱い商品での差別化が難しい。人間力とサービスで勝負する」。創業45周年を機に創立記念日である5月1日に社長に就任した。
エムオーテックスはセキュリティーやIT資産管理分野のパッケージソフト(市販ソフト)開発を手がける。主力の「ランスコープ」シリーズは同分野ではシェア1位(2009年度、富士キメラ...
複合機などの情報機器が主力で、売上高の約8割を海外向けが占める企業のトップに就いた。米国、英国、香港など、10年間を海外で過ごした経験をもとに「まずは最初の100日間が大事」と、欧米拠点を回って会社の...
1924年(大13)に創業したペンチやニッパーなどの作業工具メーカーの4代目。東日本大震災後の厳しい事業環境の中での就任となったが「覚悟はできている」と頼もしい。課題は技能継承。
「装置を扱いたかった」。旅行・人材ビジネスなどのサービス業から分析機器の会社に転じた。ネジの締め方一つ分からず、最初は苦労したが「思った通り、人より装置の方が扱いやすかった」と笑顔。
衛生材料の大手メーカー。武元康(目偏に示)〈こうじ〉前社長が内規の定年で退いたのに伴い就任した。 「多様な製品を持つが、どれも市場規模が小さく、事業の“太い幹”と言え...
日商岩井(現双日)では情報通信部門が長く、関連会社の社長も務め、経営トップとして豊富な経験を持つ。経営理念は新事業の創出と人材育成。技術の移り変わりが速い情報サービス業界で「技術に裏打...
日立製作所に入社以来、一貫して昇降機畑を歩いてきた。「モノをつくる技術者と設備保全の技術者との橋渡しを進めたい」とグループ融合に強い思いを持ち、「建築で使う『かすがい』のような存在を目指す」という。顧...