[ オピニオン ]
(2018/1/1 05:00)
一夜明けて今年は明治150年、平成30年。人が生活に便利なように区切った“時”は、人の意思を離れて、さまざまな出来事を暦に刻む。いつしか流れ時代がまわる。
元号が使われ始めたのは645年の「大化」から。過去には天皇の在位期間に関係なく改元した例も数多いが、明治以降は「一世一元の詔(みことのり)」によって一代に一元号となった。来年の譲位を控えて「平成」後の元号論議が巷(ちまた)でも白熱しそうだ。
新元号は記者にとって大スクープの対象。特に今回は改元期日が決まっているだけに熾烈(しれつ)だ。「明治」の元号は複数の候補から明治天皇がくじで選んだという。「大正」は当時、朝日の駆け出し記者だった緒方竹虎がスクープ。「昭和」は東京日日(現毎日)の大誤報を受けて時事新報が抜いた。さらに「平成」は他社より30分早く毎日が報道。リベンジした。
報道合戦はともかく、元号には古くから存否論もある。西暦との併用や換算の煩わしさから一本化すべしの合理的な考え方と、伝統的な文化論が対立。最近の世論は公的書類に使われるなどで存続派が優勢のようだ。
議論は大いにすべきだが、今日は元日。めでたいと思い、心あらためて、平成と次代の平穏を祈りたい。
(2018/1/1 05:00)