[ オピニオン ]
(2018/1/4 05:00)
正月休みがあっという間にすぎ、今日が初出勤の人も多かろう。弛緩(しかん)した体を通勤電車に預ける。居心地がいいわけではないが、なぜか落ち着く。哀しいサラリーマンのさがである。たどり着いたオフィスは新年のあいさつでかしましい。そして日常に帰る。
毎年のことだが、こんな寒い時期を1年の区切りにしなくてもとは思う。ただ、自然が眠り、万物は冬の厳しさに身を引き締める。そしてじっと春を待つ。こうした時期だからこそ、先人が節目にしたのかも知れない。
新年を迎え、神仏に手を合わせるのも祖先の知恵。季節感に希薄なビジネスの世界も神頼み。経営幹部が打ちそろっての参詣はまだまだ多い。何を願うのか。将来構想か、生き残り策か、それとも社員の幸せか。昨今は人材確保も願かけの主要項目に躍り出そうだ。
春秋子も元旦に初詣した。並んで頭を垂れる善男善女。百人百様の祈願を受ける神仏も、さすがにこの日ばかりは、てんやわんやの様子? 人波に押されて振り向くと、境内にはあふれんばかりの人、人、人。
いつ天が落ちてくるか心配した中国・杞人の憂いが頭をよぎった。いま隣国からミサイルが飛来したら…。慌てて杞憂(きゆう)であるよう願い事を追加した。
(2018/1/4 05:00)