[ オピニオン ]
(2018/3/20 05:00)
埼玉県長瀞町で自動車部品や洗浄機などを製造する東洋パーツの小菅一憲会長(88歳)が一代記を刊行した。県の産業政策のアーカイブ的な価値もあるので紹介したい。
第二次大戦中は空襲や敵機の機銃掃射を経験し、終戦後は結核を患う。実の弟は早世する。1953年(昭28)に個人事業として自転車の変速機を手がけ、57年に法人化を果たす。
戦後の早い段階から、県が積極的に経営指導していた様子も描かれている。企業診断、公的融資、補助金、異業種交流会や海外視察団。さらに企業同士のマッチングなど、当時の支援策も今とほぼ変わらない。
異業種交流は関東では埼玉が先駆けで、当時の通商産業省の役人も学びに来た。海外視察では当時としては珍しい中南米周遊も。県側の中心は中小企業総合指導所長などを務めた逆井清直さん。埼玉の産業界では伝説的な存在で、小菅さんはじめ多くの経営者が薫陶を受けたそうだ。
一代記には日刊工業新聞も登場する。70年ごろ最新鋭工作機械を導入したところ「大企業にもまだない設備」と記事に書かれた。下請けだった同社に先を越され、元請けが「面子(めんつ)を潰(つぶ)す」ことになったとか。今となっては笑い話どころか、大いに自慢すべき話だろう。
(2018/3/20 05:00)