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【電子版・連載】出張中に遭遇した小さな事件簿 第26話「日本の十大発明家」

(2018/11/18 07:00)

  • さかい三十郎。彼は重工業メーカーで造船・プラント・工作機械事業に携わって40年の経歴を持つ出張多きサラリーマンである。彼はサムソナイト鞄(かばん)とバインデックス手帳を愛用している。ちなみにサムソナイト鞄は時に、新幹線の車内混雑時にはいすに替わる(イラスト:小島サエキチ)

 彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。

 「本当にそんなことが起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。

 それでは遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。

* *

 三十郎が働く業界では発明・特許・登録競争が勃発している。A社の特許申請にB社が反論することは日常茶飯事。

 社内規定には、会社名で登録した特許により多大なる利益をもたらした場合は表彰金が出されることが明記されているが、トラブルになることもある。以前、三十郎は身の回り商品でアイデアを思いつき特許申請したが、手続きが煩雑で困惑した記憶がある。

 1885年(明治18年)4月18日、日本産業の発展の基礎となる専売特許条例(現在の特許法)が公布され、この日は「発明の日」とされた。1985年(昭和60年)4月18日に創設100年を迎えたのを機に、歴史的な発明者の中から永久にその功績をたたえるための「日本の十大発明家」が選出されている。その10名は次のとおりである。

特許庁による十大発明家

① 豊田佐吉(1867~1930年)特許第1195号「木製人力織機」

② 御木本幸吉(1858~1954年)特許第2670号「養殖真珠」

③ 高峰譲吉(1854~1922年)特許第4785号「アドレナリン」

④ 池田菊苗(1864~1936年)特許第14805号「グルタミン酸ソーダ」

⑤ 鈴木梅太郎(1874~1943年)特許第20785号「ビタミンB1」

⑥ 杉本京太(1882~1972年)特許第27877号「邦文タイプライター」

⑦ 本多光太郎(1870~1954年)特許第32234号「KS鋼」

⑧ 八木秀次(1886~1976年)特許第69115号「八木アンテナ」

⑨ 丹羽保次郎(1893~1975年)特許第84722号「写真電送方式」

⑩ 三島徳七(1893~1975年)特許第96371号「MK磁石鋼」

  • (イラスト:小島サエキチ)

 以上の方の詳細は特許庁HPから調べることができるが、若干補足説明する。①の豊田佐吉氏の成功をもとに、彼の息子がつくった自動車会社が現在のトヨタ自動車。③は医療薬であり、製薬会社三共の発足につながる。④は旨味調味料「味の素」。

 次に紹介したいのは一般にはあまり知られていない方であるが、功績をここに刻み感謝の意を表したい。

三十郎お勧めの十大発明家

①・② 自販機の先駆者:俵谷高七・中山小一郎

 自販機の起源は1888年に俵谷高七が考案した「たばこ自販機」。さらに1904年に「自働郵便切手葉書売下機」を完成させ、当時郵便事業を行っていた逓信省に買い上げられた。

 普及型自販機は1924年に中山小一郎が開発した「袋入り菓子の自販機」。全国の店頭に約1,000台設置されたベストセラー機であり、外枠には当時の人気漫画「ノンキナトウサン」が描かれていた。さらに彼は駅用も発案している。

③ テレビの研究者:高柳健次郎

 「テレビの父」と呼ばれる。浜松高専の先生から日本ビクターの副社長を経験された方。1924年にテレビジョンの研究を開始し、1926年に世界で初めてブラウン管による電子式受像に成功した。

 次のような逸話がある。「有線の電話で声が伝わるのであれば、顔や姿も伝わって見えるのではないか。いやラジオ放送が遠くから無線で声を送れるならば映像だって無線で送れる理屈ではないか」。

 1940年に開催予定であった東京オリンピックの中継準備のため、浜松高専の研究員20名を同行しNHK技術研究所テレビジョンの部長を勤める。その後、同スタッフとともに1946年日本ビクターに入社した。

④ CPU(マイクロプロセッサ):嶋正利

 日本計算器販売社(後のビジコン社)でビジネス用電卓の開発を担当。インテル社に派遣され、ビジコンを共同開発。1971年に米国インテル社でCPUを開発した。

⑤ コンピュータ:岡崎文次

 富士写真フイルムでレンズの設計を担当。その設計には多大な数値計算が伴い、電子的な手段による計算を発案。1949年に20万円の予算で開発着手。1956年に電子式自動デジタル計算機FUJIC初号機を完成した。

⑥ スチール家具:永村清

 三菱長崎造船所で海軍造船監督官(中将)にあたる。米国アートメタル社を視察し、薄板生産技術を持ち帰り技術を伝承し製作した。

⑦ 信号機:白井寅造

 昭和初期、東京下町の交差点で手信号を操っていたとき、電車と郵便配達車の事故を目撃。これを機に自動式信号機の開発に着手。私財を投げ売り開発したという。

⑧ カッター:岡田良男

 それまで印刷所で紙を切るのに使われていたものはカミソリやガラスの破片。板チョコとガラスの破片からヒントを得て、折って使うカッターを1956年に発明した。社名のオルファは刃を折ることからつけられている。

⑨ ビデオカセット規格VHS:加賀屋静雄

 業績悪化でリストラ最中の日本ビクターで、当時お荷物事業部と称されたビデオ事業部長となり1976年に開発成功。三十郎の映画コレクション開始もここから始まった。

⑩ カップヌードル:安藤百福

 日清食品の創業者でありインスタントラーメンの生みの親。1958年にチキンラーメンを開発。1971年、業界に先駆けて容器入りスナック麺「カップヌードル」を発売。即席麺を世界食に成長させた人物。2007年1月5日に亡くなられたが、米国からもその功績に賛辞が贈られている。

 2010年8月にカップヌードルごはんが全国発売されたが、売れすぎで販売休止になり、手に入らなかった。近畿地区で販売再開されたと聞き、大阪に住む次男が帰郷したおりに頼み2011年8月に食べることができた。

(雑誌「型技術」三十郎・旅日記から電子版向けに編集)

(2018/11/18 07:00)

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