[ オピニオン ]

論説室から/大学と社会のコミュニケーション ぶつかりを怖がらずに

(2018/12/27 05:00)

 分野融合、人材の多様性、国際協力など大学は今、新たな展開を多面的な切り口で進めることが求められている。これらを合わせた先進例として、東京芸術大学の文化財保護の研究・教育・社会貢献を取り上げたい。東京芸大のような特色の強い大学ならではの、さらに特殊な分野ではあるが、リードする教員は日立製作所出身の材料の専門家だ。各大学・教員の個性化を考える上でも、その手法は参考になるだろう。

 東京芸大大学院美術研究科の文化財保存学専攻は、文化財を後世に伝えていく保存と修復の専門家養成を目的としている。下に学部を持たない大学院の独立専攻だけに、ほとんどが他大学出身者で社会人も珍しくない。「文化財保存の専門家になる」という強い意志だけは共通の美術、歴史、化学、機械、電気などさまざまなバックグラウンドの学生が研究室に入ってくる。

 桐野文良教授は文化財や美術工芸品の性状や劣化現象という保存科学の研究に携わっている。日立の中央研究所出身の材料の研究者ながら日々、芸術をはじめとする異分野の人とのコミュニケーションに奮闘している。

 例えば博物館や美術館では展示照明のエネルギー使用量が多い。省エネ効果の点で、照明を白熱灯や蛍光灯を代替する発光ダイオード(LED)が歓迎される。しかし色の感じ方を重視する芸術家からは不満が生じることがある。そのため活用できるかどうかを確認するため、白色光の作り方など性質が異なるLEDのスペクトルを測定し、裏付けをとることがある。また金属の塑像を屋外展示する場合、雨による錆が生じてしまう。錆防止で油を塗るのか、それでは色が変わってよくないのか。錆が出てくることを含めての芸術作品か。こういった苦労に対しては、「技術系とデザイン系で、意見が合わないのはメーカーと同じですよ」と、あまり深刻にとらえないのがポイントのようだ。

 ここ10年、力を割いてきたのは、古代エジプト文明の文化財の保存・修復のプロジェクトだ。カイロにあるエジプト考古学博物館には、ツタンカーメン王の黄金のマスクをはじめ至宝が展示されてきたが、開館から100年以上と老朽化が激しかった。そのため、日本政府の円借款で新たに「大エジプト博物館」を建設し、2020年に開館する計画で、今、ラストスパートの段階にある。この付属の保存修復センターで、東京芸大大学院美術研究科文化財保存学専攻は国際協力機構(JICA)や日本国際協力センター(JICE)などと文化財の保存・修復の技術協力に取り組んでいる。

 スタート当初は日本人の修復の手法を現地のエジプト人に見てもらって技術を伝授するところから始まった。世界的に重要な遺物を前に、他国から来た見知らぬ指導者に対して、現場の雰囲気は冷たかった。しかし、当初は拒否の姿勢を見せても、信頼関係が構築されると関係が強固になるのがアラブの特性だという。エジプトにおける人材育成が進んだ結果、最近はエジプト人が修復に取り組むのを日本人が見守る形に進化してきた。

 作業現場の労働安全管理の責任者として、安全を管理するという発想を現地に根付かせるのも桐野教授の役目だった。労働安全は04年度の国立大学の法人化で必要となり、企業の研究所での経験を大学に生かしたテーマで、これが国際の場でも役に立ったわけだ。「仕事の事故で亡くなるのは、神のおぼしめし」という発想を変えてもらい、現地トップの館長から理解を広げた。そしてここでのノウハウが、エジプトの国家標準といわれるほどの浸透になったという。

 異なる文化や分野の融合は一筋縄ではいかない。理工系は一つの最適解につながる条件を求めるといった習性もあり、形どおりに進まない社会との連携では悩みが生じやすい。桐野教授は「文化財は一つ一つ異なっており、どのように修復するか、経験を積んだ関係者が議論して、合意を得てするものだ。一方的な押しつけでは進められない」という。「関係者それぞれの考えをぶつけて、決める。広く求めた上で、まとめる。それしかない」。学外に飛び出し、専門が異なる人とやりとりし、社会とコミュニケーションをするのに悩む多くの大学人にこの言葉を届けたい。(山本佳世子)

(このコラムは執筆者個人の見解であり、日刊工業新聞社の主張と異なる場合があります)

(2018/12/27 05:00)

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