[ オピニオン ]
(2019/7/24 05:00)
熱心なスポーツ愛好家でなくても、五輪となると日本選手の活躍に一喜一憂し、メダルの裏にある物語に耳を傾ける。日本中が熱狂するであろう17日間にわたる祭典が、1年後のきょう始まる。
洋の東西を問わず、自国選手を応援する背景には、程度の差こそあれ愛国心がある。だが行き過ぎれば排他的となって、五輪は時代に翻弄(ほんろう)されてきた歴史とも言える。
パレスチナ武装組織が選手村を襲撃し、イスラエル選手団が死亡した1972年のミュンヘン大会。東西冷戦下で開催された80年のモスクワ大会は西側諸国が不参加を決定し、柔道の山下泰裕選手らが参加の道を絶たれた。その4年後、ロサンゼルス大会は東欧諸国がボイコットした。
気がかりなのは自国優先主義がまん延して、内向き志向が強まってきている現在の世界だ。一方で、五輪と国家の関係は変わりつつある。グローバル化に伴って国籍を変える選手が増えている。前回のリオデジャネイロ大会で初めて結成された「難民選手団」は、東京大会でも継続される見通しだ。
6月末に日本オリンピック委員会(JOC)の新会長に就任した山下氏。自国の旗を振りながら入場する各国選手団の姿を、どんな思いで見つめるのだろうか。
(2019/7/24 05:00)