(2020/2/28 05:00)
古代中国の三国時代、蜀の劉備がまだ地方の小領主だった頃に自分の腿(もも)が太くなったことに気づいた。戦乱に明け暮れ、常に馬上にあった時はぜい肉などついていなかった。このまま老いてしまうのか―。劉備は嘆き、涙した。
この故事に由来する『髀(ひ)肉の嘆』という成語は、実力を発揮する機会を得られず、いたずらに時が過ぎていくことへの悲しみをいう。今もスピーチなどで時折、耳にする言葉だ。
新型コロナウイルスの感染への警戒から、イベントや会合の中止・延期が相次いでいる。商談の機会を失ったビジネスマンや、予約のキャンセルに苦しむ集客施設。活躍の場を奪われ、ぽっかり空いた無駄な時間にイラ立ちを覚える向きも多かろう。
人と会い、話を聞くことをなりわいとする報道メディアにも影響する。取材機会が減少気味だと筆も進まない。IT全盛の時代でも、対面取材の意義は薄れていないとあらためて感じる。
三国志の描く劉備は『髀肉の嘆』のエピソードの後、天才軍略家の諸葛亮を『三顧の礼』で軍師に迎えることに成功。快進撃で蜀の国を興した。嘆きを愚痴で終わらせず、チャンスをものにしたところが英雄たるゆえん。先人に習い、混迷の中に未来を見いだしたい。
(2020/2/28 05:00)