(2020/3/30 05:00)
3月21日は日本バルブ工業会(中村善典会長=金子産業社長)が制定した「バルブの日」。バルブはインフラ設備や産業プラントなどで流体制御の要として高い品質、安全性、信頼性が求められる重要機器だ。多くの産業技術が高度化・複雑化する中では、各専門分野単独の知識・ノウハウのみでイノベーションを起こすには限界がある。他産業の視点を学ぶ一方、技術革新を推し進める若手技術者の育成が急がれている。今回の「バルブの日」特別対談では宇宙航空研究開発機構(JAXA)で将来の宇宙輸送システムの研究開発を指揮する沖田耕一第四研究ユニット長を訪ね、バルブ産業にイノベーションをもたらすための手掛かりを探った。
再使用ロケット 開発進む
奥津 バルブは広く産業界の各所で使用されていています。高温・高圧・腐食環境下など個別の仕様要求に応じるため、長きにわたりさまざまな技術開発を精力的に進めてきました。日本バルブ工業会はそれらの国内関係者で構成されています。今年、米国ではボーイングのスターライナー、スペースXのクルードラゴンなど、9年ぶりに有人宇宙船が復活します。一方、わが国では次世代基幹ロケットの打ち上げが始まろうとしています。まさに宇宙航空新時代の幕開けに当たって、今回の対談が高度なバルブ技術開発に向けてのヒントになると考えます。技術開発のブレークスルーを可能とし、新しく培った技術は広く産業界に転用、貢献できると確信しています。
10年ほど前、沖田さんが日本機械学会誌に寄稿した「液体ロケットエンジン技術の発展」という技術解説を読みました。H2Bロケット初号機の打ち上げに成功した直後だけに、世界の宇宙ロケット技術開発の趨勢(すうせい)を強く意識した力強い内容でした。その中で液体ロケットエンジン技術ではエンジンシステム、ターボポンプ、燃焼器とともに、バルブを特に重要な機器として挙げていたことが大変印象に残っています。
沖田 その四つはどれ一つ欠けてもロケットエンジンは成立しません。
奥津 ご専門はロケットエンジンですね。
沖田 これまでLE-7、LE-7A、LE-5A、LE-9などの開発に携わってきました。
JAXAでは2020年度にH3ロケットの試験機1号機を打ち上げようと準備を進めています。試験機を2機打ち上げたあとは、三菱重工業に移管し、現在のH2A、H2Bと同じような運用形態に移行していく予定です。そこに向けて宇宙輸送部門は全力を尽くしています。
我々研究開発部門はその次を目指して、1段目の再使用性の研究開発として、この3月に燃焼試験を行います。来年度、飛行実験する計画です。基幹ロケットへの適用を念頭に置いた研究開発です。
奥津 再使用というと、打ち上げ後に回収するのでしょうか。
沖田 1段と2段の分離後、エンジンの推力と空力を使いながら戻ってくるのです。姿勢制御は自動です。100回燃焼可能な試験用エンジンはすでに開発済みです。
奥津 どのようなことが今の課題ですか。
沖田 再使用で最も頭を悩ませるのが、不具合が出た場合、解消後に膨大な点検作業を再度繰り返さなければならないことです。例えば、エンジンのバルブがリークしたら、バルブを交換します。交換するとエンジンの特性が変わる可能性があるので、再度、燃焼試験、性能調整用燃焼試験が必要になります。低コストを目指しているのにかえって費用がかかることから、基本的にエンジンのバルブ交換は許容できないトラブルです。
奥津 工業用プラントなどではバルブは交換できることが前提です。
沖田 LE-9からはターボポンプ、燃焼器の流量をオリフィスによる調整から電動弁に替え、弁開度を自動制御としました。これでエンジンの性能調整の手間はさほどかからなくなるでしょう。
ベンチャーとの共創開始
奥津 そもそもロケットは特殊なバルブを使用しているイメージがあります。
沖田 有人飛行に使うものはかなり特殊で、バルブの駆動部分が独立二重系になっています。片方は油圧、もう片方は空圧といったように、全く別の方式で駆動します。通常、二重系は冗長系といって同じものを二つ付けますが、米国のスペースシャトルのメーンエンジンなどは完全に独立二重系です。
奥津 駆動原理が異なることで、一つのトラブルで同時にダウンすることを防ぐ考えですね。バルブの要求仕様は何よりも信頼性でしょうか。
沖田 いろいろな使い方があって、まずその使い方に関して要求があります。信頼性は使い方に対して、しっかりと余裕を持って設計されていることが第一です。
奥津 スペックは標準化されているのですか。
沖田 地上設備の場合は標準スペックがありますが、ロケットに関しては個々全て最適化するので、どこかの時点で必ず開発する必要が生じます。
奥津 欧州やロシアなど、海外のロケット開発はアグレッシブなのでしょうか。
沖田 つい最近も文部科学省の科学技術・学術審議会の下部に設置された「将来宇宙輸送機システム調査検討小委員会」という場でJAXAの取り組みを説明しましたが、使い切りロケットだけでなく、将来に向けた再使用ロケット、完全再使用ロケットを目指した研究開発は諸外国でも大変活発です。
奥津 資金面はどうですか。
沖田 EUの予算規模は日本の1.5~2倍くらいです。JAXAの年間予算は約1500億円。このうち、ロケットに関しては数百億円です。
奥津 ロケットで年間数百億円というのは思いのほか少ないという印象です。
沖田 そうしたこともあってバルブメーカーも参入しにくいのでしょう。ビジネスとしてはもうからない上に、何か起きた場合のことを考えると大きなリスクを背負います。
今は輸入でいいモノがあるなら、国産開発せずに使っています。ただ個人的には国産であるならそれに越したことはないと思っています。何かあったときすぐに対応できるからです。
奥津 技術の進化にはまず人を増やして層を厚くしなければだめですね。
沖田 今や年間のロケット打ち上げ回数は中国がいちばん多いです。宇宙航空に関わる技術者が二十数万人ともいわれています。同じようなロケットを、ベンチャーが何社か立ち上がって競っているほどすごい勢いで取り組んでいます。
奥津 JAXAはベンチャーとの協業などもあるのですか。
沖田 JAXAの「宇宙イノベーションパートナーシップ(J-SPARC)」は新事業を共創する研究開発プログラムで、一昨年から始まっています。
開発が技術力・人材育てる
奥津 三十数年携わっている沖田さんから見て、その間に世の中のバルブ関連の技術レベルは上がっていると感じますか。
沖田 壊れない、信頼性の高いバルブを作るため、材料特性などの基礎的なデータベース(DB)を作りました。DBとデジタリゼーションで技術は向上していると感じます。
奥津 私の立場でいうと、一般のコントロールバルブの世界ではコスト偏重の影響で海外を含めて技術レベルは下がっているように感じます。品質も落ちています。技術がある程度飽和する一方、製品スペックが固まってくると、次はどれだけもうけられるかに関心が向かいます。安いバルブ、簡単なバルブ、もうけの出るアプリケーションばかりを追いかけて、新規の技術開発に挑戦しようとしません。容量係数や二相流モデルの計算ができない。そんな状況にあります。
それを防ぐには、一方ではIoTなど電子情報や通信などの新規技術を導入し救済して行きつつ、材料や熱や流れなど基盤工学の技術者を育成する教育、技術課題を突破できる骨太技術者を育成するしかありません。
沖田 開発があるうちは人も育つし、技術力も向上していきます。開発が終了し、メンテナンスが主体になると、技術力の維持が難しく、どんどん低下してしまいます。
H2A初号機が2001年で、H3着手までの十数年間、開発はほとんどありませんでした。本格的な開発は1994年のH2以来、30年近くなかったのです。
改良しか知らない人だけになってしまうという危機感もあり、一から立ち上げるH3開発がスタートしました。若く優秀な人が集まりましたが、彼らもすでに30代になっています。
奥津 ロケットにはバルブはどのくらい使われているのですか。
沖田 機体では逆止弁などを含めておおむね120個。そのほかに1段エンジンで約50個、2段エンジンで約40個です。
奥津 それは今後、減らしたほうがよいものなのでしょうか。
沖田 コストダウンになるので減らしたいですが、どれもが重要な役目を持っているのでなかなか減らすことはできません。絶対に逆流してはいけないところには逆止弁を二重に付けますが、それを1個にしてよいのかというと、もしものときは大変なことになります。
奥津 かつてあるプラントメーカーが化学プラントのバルブを減らそうと試みたことがありました。通常2系列あって、片方を止めて交換するという構成なのですが、それを無駄と考え、バルブを1系列にして、その代わりに信頼性の高いといわれるバルブにしました。ところが、故障した際はプラントを止めなければ交換できません。機械の故障を完全にゼロにはできません。結局、従来の方式に戻りました。
沖田 ロケットも同じです。制御関係ではバルブに限らず冗長系、二重系にします。二重系にするのが非常に難しいところは信頼性を高めることで対応します。ロケットがプラントと異なるのは、有限寿命。使用回数が限られている点です。
奥津 両方とも難しいことで、簡単ではありません。開発に当たって、故障モード影響解析(FMEA)は役に立ちますか。
沖田 モデルベース開発であっても、故障モードをしっかりと押さえ、フィードバックしてロバスト(堅牢(けんろう))な設計にするという地道な繰り返しです。
高度な課題への挑戦 期待
奥津 ベテランが若手に向けて伝えることが経験談にとどまっているケースがありますが、肝心なことは、経験から理論を導き、本質を教えることです。先人の経験を同じように繰り返さなくても先に進めます。
沖田 人の育成は難しいです。自分でやってみて失敗して、経験しないと何が本当に重要なのかを理解できません。例えば、いきなりDBを見せられても何も感じません。経験することによってはじめて、基本は大事だ、DBはよく見ておくことが大切だと理解するのです。
奥津 そういう機会がJAXAにはあるのですか。
沖田 開発している段階では、まさにそういうところに若い人を携わらせて経験してもらってます。これから開発がなくなってきたときは、技術実証などで経験させておかなければ、なかなか人材が育たないんじゃないかと危惧しています。
奥津 私は計測自動制御学会で、企業の十年選手を対象とした技術者教育プログラムを担当しています。1年間、16講座の通信教育なのですが、年間5回、1泊2日のスクーリングを行います。その狙いの一つが技術者のネットワークづくりです。違う会社の人やベテランの講師陣と交流することが受講者にとってかけがえのない財産になってもいます。
この取り組みを始めたのは、プラントのトラブル・重大事故が続いたことがきっかけです。現場の技術者の力が落ちている。これをなんとかするには若手技術者を育てるしかない。そう考え、続けてきた結果、これまでの修了者は12年間で400人に達しました。
品質と信頼性がカギ
最後にバルブ産業に期待することをお聞かせください。
沖田 やはり安い価格で高い信頼性です。そのための技術についての意見交換や協業の機会を持ちたいと思っています。ただ、必要な数量が年間400個ぐらい、エンジンのメーンバルブで年間50個ぐらいでは、企業の関心はあまり高くないようです。ビジネスとして見たらそうなってしまうでしょうが、高度な技術課題への挑戦として、損得抜きで協力しようという人も工業会メンバーの技術者の中にはいらっしゃるのではないでしょうか。
地上設備で使われている国産バルブの中に、非常に特殊で特徴的な形状のシールが使われているものがあります。それを見ると感動します。メーカーが苦労して編み出したのだと思いますが、そうしたノウハウを持つ会社がきっと国内にはたくさんあるのでしょう。
奥津 宇宙産業で期待されるバルブの技術水準は極めて高いことや、特に品質と信頼性がキーワードであること、ますます挑戦的な技術者層が期待されていることなど、当工業会にとっても大いに参考になる知見を、対談を通して認識することができました。JAXAの技術開発スピリッツにも感銘を受けました。今後の宇宙航空技術の一層のご発展を祈念いたします。本日はありがとうございました。
【日本バルブ工業会 広報副委員長 奥津 良之氏】
おくつ・りょうじ 1957年生まれ。アズビル・アカデミー技師長。日本工学会フェロー。国際電気標準会議(IEC)では調節弁データ辞書規格会議元国際議長。現在、調節弁JIS規格作成委員会委員長を務める。
【宇宙航空研究開発機構 研究開発部門第四研究ユニット長 沖田 耕一氏】
おきた・こういち 1986年宇宙開発事業団(現JAXA)入社。以後30年あまり、ロケット開発部門にてロケットエンジンの開発に従事。現在は将来の宇宙輸送システムの研究開発の責任者を務める。
(2020/3/30 05:00)