(2020/9/2 05:00)
2004年、三菱自動車は2度目のリコール隠しが発覚。筆頭株主のダイムラークライスラーが撤退を決め経営危機に陥る。三菱グループが再建チームを派遣、リーダーを任されたのが三菱商事の自動車本部長だった益子修さんだった。
書類の山とコンビニ袋を抱え、真っ赤な目で帰宅した時も、記者に丁寧に応じてくれた。次期社長候補について「(グループからの)落下傘ですか、生え抜きですか?」と問うた答えが「胆力のある人」だった。
「今はエリートより武道を究めた胆力のある人がいい。背後からバッサリやられるかもしれないし…」。東大剣道部出身の多賀谷秀保さんが、初の生え抜き社長になった。だがグループ内で異論も出たため、7カ月で退任。その後を益子さんが引き受け、多賀谷さんを異例の北米三菱自動車会長に遇した。
責任感が強く情に厚いユーモアを忘れない人だった。国内工場の閉鎖を最小限にとどめ、度重なる負の連鎖を断ち切るように日産自動車との資本提携にこぎ着けた。益子さんでなければ実現できなかった。
8月に会長を退任した直後の訃報。おしゃれなどに頓着せず、ただ三菱自の存続に尽くした16年だった。ご冥福をお祈りします。
(2020/9/2 05:00)