[ オピニオン ]
(2017/9/19 05:00)
研究職の友人から、団体の周年記念誌への寄稿文章を「推敲(すいこう)してくれ」と頼まれた。記者ならさぞ文章が得意だと一般に思われがちだが、ニュース原稿とは勝手が違う。
参考にしようと、会社の書庫で過去の記念誌類を探す。周年寄稿文は「お祝い」で始まり「功績をたたえる言葉」「自分と相手との関わり」と進み、将来を祈念する言葉で結ぶようだ。構成は分かったが、そのままなぞるのでは味気ない。
ふと、書店で買い求めた『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)を思い出した。文豪や著名人がいかにも書きそうな100通りの文体で、カップ焼きそばの作り方や情景を綴(つづ)った一冊。
三島由紀夫なら「官能的な馨香(けいこう)、ゆらゆらと反射する麺の輝き」と情の濃い表現。江戸川乱歩は「ビビビ…と骨の髄に響く音を立てて、蓋(ふた)が開き」と読み手を引き込む筆致。現役のヒットメーカー・村上春樹の場合は「完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という具合。
小林秀雄のような格調高い文体をマネたいと考えたが、あえなく時間切れ。無難な文章を添えた友人への返信の最後に、村上春樹流に「完璧な文章なんてないから」と書き加えてお茶を濁した。
(2017/9/19 05:00)