[ オピニオン ]
(2018/4/5 05:00)
「大学を終えたら移民としてブラジルに行くつもりだった」―。父から聞かされた言葉に衝撃を受けた。最後の移住船は1973年(昭48)。当時の若者にはチャンスに思えたらしい。
まだ海外で珍しかった甘柿を栽培したかったそうだ。ただ視力が弱かった父は、医療体制が未整備な現地では受け入れられないと考えて断念した。もし移住が実現していたら、自分が日系2世になっていたと考えると妙な気分だ。
08年に「笠戸丸」による日本人のブラジル移住が始まってから110周年。記念のロゴマークが作成され、7月にはサンパウロで式典が予定されるなど、お祝いムードが高まっている。
今や日系ブラジル人は160万人以上。現地社会に深く根を張り、進出した日本企業にとっても心強い存在だ。また、農産物の生産や品種改良をはじめ、産業育成にも多大な貢献を果たしている。
柿の栽培も、その一つ。東アジアの固有種で、日本から世界に広まった『KAKI』の主たる生産地は中国、韓国、日本などだが、ブラジルも世界5位に位置する。南半球では、これからが旬。駐在員の話によると、日系人以外にも人気のフルーツという。父の願いが少し叶(かな)ったようで、うれしく思えた。
(2018/4/5 05:00)