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(2018/7/8 07:00)
彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。
「本当にそんなことが新幹線内で起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。
それでは車内で遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。
* *
「チャイルド・プレイ」のチャッキーが……?
作家横溝正史の小説に「悪魔の手毬唄」がある。昭和初期の社会因習など、ドロドロした人間関係に恐怖感を入れ、描いた傑作であり、娘3人が惨殺されるシーンが印象に残る。市川昆監督によって1977年に映像化され、名探偵・金田一耕助を演じたのは石坂浩二であった。
さて、今回は三十郎が車内で体験した恐怖を紹介するが、その前に、こんな体験も披露させていただく。
昭和49年7月当時、長崎市の造船所に勤務していた三十郎は長崎大学グランド裏手に位置している独身寮「昭和寮(和室2人部屋)」に居住していた。携帯電話やスマートフォンが普及するなど夢にも思わなかった頃である。
外部からの電話は寮務長事務室で受付され、各棟の通路に設置してあるスピーカーから呼び出しを受けていた。
「1棟204号室、さかいさん、お電話です!」
呼び出しに気づき、三十郎は食堂に続く階段下の受話器に向かった。
当時、独身寮で電話呼び出しを受けるのは、「彼女がいる奴」というのが相場であった。男友達と遊びに行くのが楽しかった三十郎には無縁のこと(遊びとはパチンコ、麻雀、スナック、大衆酒場、映画館、長崎市歴史探訪、観光、夜間歩行など)。
この当時、三十郎の実家には電話がなく、隣家(梅崎さん)を利用させていただいていた。したがって日常、実家から呼び出しを受けることはない。緊急時のみである。
「ハイ、さかいです」
三十郎は電話口で答えたものの、相手は無言。止むなく受話器を置き、確認のため事務室に向かった。
「先ほどの電話は誰からでしたか?」
女性事務員は答えた。
「お父さんからでしたよ」
三十郎は凍りついた。なぜなら、父は昭和42年7月に他界していたからである。
《ひょっとして自宅で何かあったのか……》
不安になり、公衆電話から梅崎さん宅に呼び出しをお願いした。
やがて母が電話口で話を始める。
「よく忘れなかったね。今日はお父さんの命日だよ」
間近となった「石油タンカー試運転準備」に忙殺されていた三十郎は唖然とし、床についた。
母の後日談によれば、「仏壇の位牌と写真が倒れていた」とのこと。
* *
余談が長くなったが、本題に入ろう。
三十郎はいつものように1号車後部D席を確保し、くつろぐと、広島発最終ひかり号は東京駅へと走り始めた。乗客は少なく、前部の親子の会話に何気なく耳を澄ませた。どうやら父親と小学校低学年の男の子の会話と思われた。
「今日のステージは楽しかったね」
確か、このような会話であり、学芸会か演奏会でも開催されたのであろうと勝手に想像した。子供の舞台を見つめる時は「期待と不安にかられる」ものである。この胸中がやがて三十郎にふりかかってくるとは思いもしなかった。
名古屋駅到着前に父親が立ち上がり、通路側に移動し始めた。トイレか下車準備を始めたのであろう。何気なく視線を向けていたその時、三十郎の目にとんでもない状況が飛び込んできた。三十郎は間違いなく見た。信じられない光景である。
子供の顔が横を向いた。
《そんな、馬鹿な!》
三十郎を見つめながら、真横90度を超え、真後ろ180度、すなわち三十郎の正面まで回転し、彼を見つめたのである。さらに、列車進行方向にねじれた。
(2018/7/8 07:00)