[ トピックス ]
(2018/7/15 07:00)
彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。
「本当にそんなことが新幹線内で起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。
それでは車内で遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。
* *
三十郎は遊園地が好きである。東京都内ならばミニ遊園地の「あらかわ遊園」などが好きで、ファミリーでよく通った。もちろん、本格的な「西武園ゆうえんち」などにも通った。なかでも、千葉県・浦安の「東京ディズニーランド」に至っては開園以来十数回は出向いている。
実は西武園ゆうえんちには苦い思い出がある。次男と長女を連れ向かった時のこと、長女(当時3歳)と女房は観覧車に向かい、次男(当時7歳)と三十郎は回転ブランコを楽しんだ。
その後、合流しようと観覧車に向かうと、何やら騒がしい。そこには係員に抱きかかえられていた長女の姿が確認された。観覧車の座席から降車する際にドアに左手薬指を挟まれ、肉がえぐりとられていた。救急治療のため病院に連れていかれ、そのまま自宅へ帰る羽目となった。次男は寂しそうであったが致し方ない。
以降、一度も行ったことはない、と言いたいところだが、長女が小学校高学年から中学生の間、園内にあるプールに出向いている。
海外の遊園地にもいくつか行った。例えば、米国では元祖「ディズニーランド」。欧州であればウィーンの「プラターパーク」。映画「第三の男」の舞台にもなった遊園地であり、ご存知の方も多いのではないだろうか。劇中、2人の男が夜の観覧車で出会うシーンを思い出す。ラストシーンでアリダ・ヴァリが歩いた並木道に出向き、同様に歩いたことも懐かしい。
若者たちの会話が“仁義なきバトルトーク”に一変した理由
さて、遊園地と言えば回転・高速落下の乗り物は付き物であるが、本編は「座席の回転行為」が、思わぬ事件になった目撃談である。
広島発東京行き最終の自由席に乗車した時のこと。ちょっとほろ酔いかげんと思える若者5人が乗り込んできた。車内はまだ余裕があり、向かい合わせの座席をつくろうとする。以下、彼らの会話である。
「この座席、回そうか?」
「足元にレバーがあるぞ。回るよ」
「よし、回そう」
若々しい会話が弾んでいた。そして、5人がそれぞれ座席回転に備え、身体の回避を始めた。通路側に立つ者、2人席に避けた者、背に手を掛け、回す準備をする者、そして、レバー操作を行う者……。
その時、事件は起こった。5人のうちの1人が3人席の窓側に立っていたのである。
《危ない!》と三十郎は感じた。
レバーが押され、背を持った若者が椅子を勢い良く回転させた。
「痛てェ!」
座席と窓壁に挟まれて立ち往生した若者がいた。彼の悲鳴である。こんな時に限って、助けようとする行為が逆になるものだ。背を持った者が、さらに締め付け方向に座席を押したのである。
再度悲鳴が上がった。幸いケガはなく、挟まれた若者の涙だけで、事は済んだように見えた。しかし、ここから仁義なきバトルトークが展開された。
会話の内容は以前にもこれと似たトラブルがあり、痛い思いをしたとの内容であった。結局5人は新大阪で下車するまで、仲直りできなかった。
* *
次は「落下事件」である。
平成6年10月、大阪市内で「国際工作機械見本市」が開催されていた時のこと。会場での勤務を終え、最寄駅まで会場発のバスに乗車した。客の多くは同業の勤務員が多く、鞄を持参していた。
バスは混雑しており、三十郎の同僚は予備席に座る羽目になった(後に聞くと、次のバスにすべきか悩んだ模様ではあったが……)。
やがて、バスはカーブに進入した。この時、事件は起こった。
何たることか、座席上部の棚から鞄が落下し、同僚の頭部を直撃したのである。翌日の同僚の姿はとても出張に耐えられる状況・風体ではなかった。
後に、鞄の持ち主とは示談が成立したとのことだったが、その後1ヵ月、彼は後遺症に悩まされていた。こういう場合、加害者にも被害者にもなりたくないものである。
これ以降、三十郎はバス・列車内でハードケース鞄を座席上部棚に置くことはない……。
事件始末記・筆者の独り言
普段、何気なく行っている行為、慣れた行動にも再度「周囲の確認」を行いましょう。その場合、指差呼称が有効です。
(雑誌「型技術」三十郎・旅日記から電子版向けに編集)
(2018/7/15 07:00)