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【電子版・連載】出張中に遭遇した小さな事件簿 第23話「ビジネス出張時の必需品、電話・ラジオ・カメラ」

(2018/10/28 07:00)

  • さかい三十郎。彼は重工業メーカーで造船・プラント・工作機械事業に携わって40年の経歴を持つ出張多きサラリーマンである。彼はサムソナイト鞄(かばん)とバインデックス手帳を愛用している。ちなみにサムソナイト鞄は時に、新幹線の車内混雑時にはいすに替わる(イラスト:小島サエキチ)

 彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。

 「本当にそんなことが起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。

 それでは遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。

* *

  • (イラスト:小島サエキチ)

 出張時に携帯する三十郎の“ビジネス三種の神器”は「携帯電話&ラジオ&デジタルカメラ」だ。電話をマナーモードにセットして車内でくつろいでいると、業務連絡がメールで飛び込んでくる。ラジオもよく聞く。以前は新幹線専用のFMラジオがあり、落語が聞けたので助かっていた。そしてデジタルカメラ、これは孫の成長過程の記録に使うのが主になった。

 まず携帯メールで思い出したのは“電池→電信→電話”へとリレーされた歴史だ。1799年に2種類の金属でできた電池が発案された。1820年にこの電池が使われていたとき、近くにあったコンパスが振動することに気付き“電流の磁気作用”が発見される。これが応用されて電信へと進化する。1825年、英国で電磁石が発明され電信機の基盤技術が確立する。1831年、最初の電信機(5針式)が発明され5個の磁針の2個に電流を流し、残りの3針で電信させていた。

 1838年、モールスはニューヨークで電信機によって1分間に10個の単語を送る実験に成功した。これが現在のモールス符号の原点となり、各地域に電線が張り巡らされ通信ネットワークが構築されていく(日本へは1854年にペリーにより徳川将軍へ献上されたが普及していない)。モールスに不可欠なアンテナは、1924年に電波指向方式を発明して特許権を得た八木秀次氏の八木アンテナが始まりであり、特許庁の十大発明家にも選ばれている。

 モールス信号で忘れ難いのは大東亜戦争の口火を切った“ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)”と真珠湾攻撃の奇襲成功を告げた“トラトラトラ”だ。三十郎の亡父は逓信学校から帝国陸軍に入り、本暗号を受信したときの興奮を熱く語っていた(父の遺品である信号器で天国にモールス送信したが、いまだ返事はない)。

 電信が実用化され“遠く離れた人と電信ができるなら、遠くにいる人とも会話ができるのではないか”と発想され電話へとつながる。音声を電気信号に変換する送話器と、電気信号から音声を再現する受話器(スピーカー)に必要な原理・機構が暗中模索される。

 1876年3月10日、ベルは電気で会話を伝送する電話を発明し通話実験に成功する。最初の会話は助手のワトソンへの連絡だった。

 “Mr.Watson,come here,I want to see you!”

 当時ベルのもとで修行中の日本人留学生仲間で、日本語も通話できることが確認されている(伊沢修二と金子賢太郎)。そして1877年に日本に輸入され、文明開化の一品として開花していく。

 ラジオは1920年に米国で実験放送が開始され、その歴史が始まる。1938年には、オーソン・ウェルズがラジオドラマで“火星人来襲劇”を朗読し、あまりの熱演に米国中がパニックに陥った逸話がある(ラジオのディスクジョッキー番組が突然中断し、ある地方に宇宙から落下した不思議な物体の現場中継を行う設定のドラマ)。この原作である宇宙戦争(HGウェルズ作)は1953年と2005年に映画化されているほどの名作だ。日本のラジオはNHKが1925年、民放局は1951年に開始している。

 

 意志伝達映画と言えば「テレフォン」(1978年、ドン・シーゲル監督)。米ソ冷戦時代にKGBに洗脳されたスパイが米国に送り込まれ、電話の音声暗号で遠隔操作されて破壊活動を始める。チャールズ・ブロンソンとドナルド・プレゼンスの主演作品だ。

 三十郎は新宿ビルの総務課所属時代に防災訓練を担当していた。館内放送アナウンスを自ら行い、芝居気ある放送でマンネリ化した内容を一変させ好評を得たこともある。また、小学校の学芸会でラジオ放送を披露したこともある。ダンボール製のラジオ箱に入りアナウンスを始める。“時刻は午後0時をまわりました。昨日の天気は日本全国で晴れのち曇りでした。今日の天気はまたこの時間にお知らせいたします。お天気の結果でした”と結構受けていた。

 カメラの原理は紀元前から知られていた。“カメラ・オブスキュラ”と呼ばれ、壁に穴があいただけの部屋に穴から入った光が反対側の壁に当たり、外の景色が映る仕掛けだ。現在の形式は1826年に仏人ニエプスが8時間かけて1枚の写真を撮ったとされ、1839年に世界初のカメラが発売された。国内で現存している最古の写真は島津斉彬公の銀板写真(1848年)。輸入されたカメラを手本に家具職人(指物師)がボディ(木箱)を製作しレンズを組み合わせている。

 各社がフィルム一眼レフカメラの生産を順次終了させている。2000年度は全世界で100万台の販売実績があったが、2005年度では1万台に激減したことによるもの。100年以上の写真関連事業の歴史が消えていく。寂しいが致し方ない。これはデジタルカメラに追われたものだが、解像度はフィルム機が格段に上でありカメラ専門店には写真愛好家の購入希望が相次いでいる。CDや配信サービスに追われながらもアナログ録音が愛されLPレコードと針が生きているように、フィルムカメラが生き残ることを切に祈りたい。

 三十郎の思い出のカメラはコダック・インスタントカメラ。初めての世界一周旅行のときに携帯したもので、写されたスナップの数々は今もアルバムの中で生きている。ロンドン・テムズ川岸でビッグベンと、パリ・セーヌ川の自由の女神像と、スイス・ルツェルン湖上でのボート、ローマ・トレビの泉、マドリード・闘牛場で、ニューヨーク・セントラルパークやエンパイアステートビルディング屋上で、本場ディズニーランドで、金門橋で……。

(雑誌「型技術」三十郎・旅日記から電子版向けに編集)

(2018/10/28 07:00)

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