[ オピニオン ]
(2019/1/4 05:00)
正月休みも、はや終盤。絶え間ない時の流れは一定のはずだが、平成最後の年も刻む針が妙に早い。明けて4日目ともなると、新年に神仏を念じて善男善女に立ち帰った人々も、元来の本性が顔を出す。
その昔、中国で思想家の孟子、荀子、告子がそれぞれの説を主張した。生まれつきの徳や礼節を重んじた孔子。その考えを継ぐ孟子の性善説。対して荀子は「人の性は悪であり、その徳や善は偽り」と性悪説を展開。告子は「人の本性は教育や習慣、環境によって、善にも悪にもなる」と中庸思想を説いた。
世界で信者が最も多いキリスト教は、イエス・キリストを受け入れると、犯した罪苦から解放される。信じるものは、善行することで救われるという説だ。日本人の85%を信者に持つ仏教は、たとえ信じなくても、御仏の掌で幸福な黄泉に召される教え。
政治にも善は肝要。性善説は仁、義、礼、智からなる。礼は人に譲る心。礼を失する施政者が自国主義を押し通す。世界中で不信の芽が育っている。
改元を控えるわが国では智を備えているのか。智は是非の心。正しいことを良(りょう)とする。政治家に正直さがあってこそ、国が治まる。己の正当化に汲々(きゅうきゅう)とする政治に、一陽来復はほど遠い。
(2019/1/4 05:00)