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記事検索結果
837件中、39ページ目 761〜780件を表示しています。 (検索にかかった時間:0.004秒)
テープ式研磨装置に重点 【差し押さえ経験】 留守中に鍵はこじ開けられ、家財道具は持ち去られた後だった。ただ、畳と障子が残っていただけ。1972年、各種専用機の設計・...
【55周年を機に】 日本ジャバラ工業は10月3日、神戸市内のホテルで毎年恒例とする経営計画の発表会を行った。今年は会社設立55周年の記念式典も併せて開催された。ホ...
【伊企業の製法で】 「新製品を手がけなければ」。日本ジャバラ工業の社長、田中信吾は阪神・淡路大震災の被災から1年たった1996年、復活につなげる戦略を模索していた。ふと欧州の国際見本...
【震災で本社半壊】 1995年1月17日早朝、震度7の大地震が兵庫県南部を襲った。この阪神・淡路大震災で、神戸市兵庫区にある日本ジャバラ工業の本社は半壊状態となった。社長の田中信吾は...
【第二創業者】 「二代目社長でなく第二創業者です」―。日本ジャバラ工業社長の田中信吾は、自身をそう紹介する。社長就任から31年となるが、幾度もの危機を乗り越え、機械の精度を守る重要部...
【不良率ゼロ達成】 2008年秋のリーマン・ショック以降、自社の弱点克服に乗り出したミツワハガネ。社長の甲斐千尋は、まず徹底した品質管理を実施した。航空機部品メーカーからの信頼獲得に...
【5面加工機導入】 2001年、ミツワハガネは、大型製品を24時間加工できる5面加工機を導入した。そして組立工場を新設し部品製作から装置組み立てまで一貫生産できる体制を整えた。機械加...
【特殊鋼に着目】 ミツワハガネは1978年、宮崎県延岡市で設立した。同市は旭化成発祥の地。旭化成関連の仕事で街中に活気があふれていた時期に、社長の甲斐千尋が22歳の若さで創業した。
【宮崎から飛躍】 「町工場のイメージを一新、大手企業と取引拡大できる企業へと変革する」。ミツワハガネ社長の甲斐千尋は闘志を燃やしている。宮崎県延岡市の高台に新工場が完成、10月21日...
【新しいステージ】 6月にアイペックの社長に就任した東出悦子。米国で公認会計士として主に日系企業の監査の仕事をしていたが、2010年に父親で現相談役の高見貞徳が創業した同社に入社した...
【新社名への思い】 2010年、旧社名の富山検査からアイペックに社名変更した。アイペック(IPEC)の「I」は検査・調査・点検の「インスペクション」と社会基盤の「イン...
【磁粉探傷を開始】 1974年、瀬戸内海で石油備蓄タンクから油が漏れ、海が汚染される事件が起きた。77年に消防庁から全国の石油タンクを検査するよう発令され、アイペックにもタンクの非破...
【幅広い分野】 高度成長期に建設された高速道路や橋梁、トンネルなどインフラ設備の老朽化が社会問題となっている。アイペックは富山市に本社を置く数少ない非破壊検査会社。社長の東出悦子は「...
【新たな利用法】 水産物の鮮度維持に資する独自の「窒素氷」には、まだまだ新たな応用の可能性があると社長の若山敏次は考えている。現在、実用化に向けて研究を進めているのが、飲み物向けと臓...
【道内から東北へ】 昭和冷凍プラントの「窒素氷製造システム」の販売先は、本社を構える北海道釧路市を中心とした道東地域や北海道内全域だけでなく、全国にも広がりつつある。実際に東北地方へ...
【大手が参入】 水産物の鮮度管理に向けた新たなシステムを手がけ始めた昭和冷凍プラント。1996年に海水を電気分解し、次亜塩素酸ナトリウムにした殺菌水を漁船の設備として提供し始める。0...
【メンテで創業】 昭和冷凍プラントは冷凍・冷蔵設備の開発、製氷設備などを手がける少数精鋭の技術者集団。創業者で社長の若山敏次は「特許で武装し、独自のモノづくりこそが中小企業の生きる道...
【国内は高精度化】 創業以来のウイングポンプも、現在は大半を中国で生産する。それでは国内工場はどう生き残っていくのか。「試作や多品種少量品などに特化し、より高精度が必要なものを手がけ...
【営業を意識】 業容の拡大を狙った部品加工の下請け仕事は失敗し、10年程度で撤退に追い込まれた。「今から考えると、採算を考えたら到底できるはずがない仕事を、安値で受けてしまうことも少...