[ オピニオン ]
(2016/9/27 05:00)
世界の大学を同一基準で比較し、順位付けする「大学ランキング」への注目度が高まっている。ただ多様性が求められるはずの大学教育が特定機関の基準で判断され、それに社会が振り回されている感が否めない。
英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)」が発表したランキングでは、東京大学が全体で39位と昨年より順位を上げた。それでもアジア全体では4位に下がったことが話題になった。
大学ランキングには著名なものが複数あり、それぞれ評価の指標、重み付け、分析法などが公表されている。個々の内容はバラバラで「各機関がそうすることにした」に過ぎないのが実態だ。指標によっては順位は容易に変動する。中には論文雑誌・出版やデータベースのビジネスが絡んだ機関が手がけるランキングもある。
近年、科学技術力の国際比較で日本の存在感が低下していることは国の調査でも明らかだ。だからといって根拠の異なるランキングを同一視し、単純に比較するのは注意が必要だ。
大学関係者の苦言も多く耳にする。共通しているのは文系軽視への不満だ。研究評価は世界の主要英語論文のデータを活用することが多く、生命科学や工学ではこの比較は妥当だ。しかし社会の制度や文化に深く根ざした人文・社会科学系の研究は、成果を自国語での論文や書籍で発表するのが一般的。国をまたいだ相対評価は難しく、実際にもほとんど評価の要素になっていない。
こうした状況下で、文部科学省には日本独自の指標づくりを模索する動きがある。すでに科学研究費助成事業で各種のランキングから妥当な指標を選んで意味合いを明確にし、相互関係を明らかにする研究を後押ししている。その上で大学の規模や分野、比較対象ごとに適切な指標を定める考えという。
大学の魅力を高める上でランキングには一定の意味がある。しかし、それに一喜一憂するだけではいけない。関係者は常に大学が競うべき本質的なテーマを意識してもらいたい。
(2016/9/27 05:00)