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(2018/11/25 05:00)
彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。
「本当にそんなことが新幹線内で起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。
それでは車内で遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。
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2012年2月3日(金)、日本工作機械工業会主催のJIMTOFの会合に出席するため、品川駅から新幹線に乗車し、JR名古屋駅前のホテル・キャッスルプラザに向かった。北陸・名古屋~京都間の積雪により新幹線ダイヤが乱れていたため、万が一の食料になると考え、前夜の残りの炊き込みご飯からおにぎり2個をつくってラップし新聞紙で包んでいた。
小学生の頃、お袋が準備してくれた弁当を新聞紙で包んで学校に持って行き、教室に到着するとチョークで名前を書き、練炭火鉢が収納された大きな木箱の棚で保温していたことを懐かしく思い出す。
幸いにも品川~名古屋間にダイヤの乱れはなく、ほぼ定刻どおりの11時過ぎに名古屋駅へ到着。すぐに上りホームにあるきしめん店でシンプルなトッピングの鰹節・素麺を注文した。これが美味い!(このほかおすすめの駅麺は、大阪駅構内の“関西うどん”と、広島駅在来線ホーム上にある“立ち食い素うどん”。機会があればぜひご賞味いただきたい)。
会議開催までまだ1時間の余裕があり、2年ぶりに地下街を散策した。特にサンロード街から通じる大名古屋ビル地下食堂街が懐かしい。
JIMTOFの会合が始まった。全国から約60社が参加。議事の中で幹事会のメンバーが紹介され、長年の顔見知りとたちと活動することになった。2年ぶりの懇親を楽しみにしていたが、今夜は別の用件があり次回への楽しみに回した。今夜は若者と会わねばならないからだ。それは……。
私事で恐縮だが、2000年6月に東京駅から約1時間のJR中央線・東小金井駅から10分ほどの場所に自宅を建てた。そして駅改札から自宅へ向かう途中に、マッチ箱を立てたような狭隘間口の焼き鳥店を見つけて通い始めた。近くに東京農工大学の工学部キャンパスがあり、地方から上京した学生たちのバイト先となっていた店だ。
歴代のバイト学生たちと仲良くなり、就職の相談に乗ったり、さらに小宅で懇親も重ねるなどしながら、いつしか東京のお父さんと呼ばれるようになった。
そんな卒業生の中に約6年間付き合った若者がいて、JR名古屋駅管轄の小駅に勤務していることを思い出し、携帯に登録してあるメールアドレスから連絡を入れた。「平野くんへ。次の金曜日に名古屋出張の機会があるので、良かったら2年ぶりに会わないか?」。
彼からの返事が即、届いた。「その日は振替休日なので、名古屋駅近くで待っています」。
彼らのバイト先だった居酒屋の主人は、不幸にも2011年9月に48歳の若さで他界した。常連客で通夜を営み、49日の法要は小宅で行った。漫才師・横山やすしに似た風貌で客受けも良かっただけに残念だった。
平野くんは勤務の都合から上京することができず残念がっていたこともあり、三十郎が読んだ“弔辞”を手渡すべく再会したいと思っていた。
会議は定刻に終わり、ホテルに来てくれた彼と再会した。元気で頑張っていて何よりだ。彼と酒を酌み交わすことにし、駅の太閤口にある地下街へ向かった。
この一角に、名古屋湾埠頭にある展示会場に出展していた時代に、機械操作員たちと通った居酒屋があり、自然と足が向いた。名古屋名物をつまみに、親子みたいな会話をしながら時間を過ごす。風貌も若い頃の三十郎に似ており、他人が見たら親子に見えるだろう。
普段は空き席なければサムソナイトありだが、酔ったこともあり、念のためみどりの窓口で指定席を確保した。待ち時間があり彼をホーム上に招き入れ、ワンカップを嗜みながら指定列車の到着を待った。30分経過した頃、到着した新幹線に乗り込む。「彼と次に会えるのは結婚式のときかなぁ」と思いながら窓越しに手を振り別れた。着席と同時に睡魔に襲われ爆睡。
東京駅に到着後、中央線の電車内に席を確保してうたた寝をすると、店で最後のバイトをした学生を思い出した。「北海道出身・新保くんの就職・卒業祝いをしてあげよう!」。
常連客だった5人にメールで連絡を入れ、2月25日(土)の午後に小宅で開催した。飲兵衛仲間にうってつけの奈良・柿の葉寿司を取り寄せるとともに、町内会の酒屋に宮崎芋焼酎・天孫降臨を依頼した。また歴代のバイト学生に贈った“胸サイズの手帳・クロスのボールペン”も準備した。震災以降に巣立つ若者たちの大きく明るい未来を応援するためのプレゼントとして。
三菱重工・長崎造船所入社当時の職場では「独身会」が組織され、二十代の若者は半ば強制的に参加させられていた。懇親の後、全員で肩を組みながら歌った曲が今も忘れられない。コーラスグループ“ザ・ブロード・サイド・フォー”のヒット曲“若者たち”だ。3番の歌詞は今も記憶に残る。「君の行く道は希望へとつづく、空にまた陽が昇るとき、若者たちはまた歩きはじめる」(作詞:藤田敏雄、作曲:佐藤勝、1966年当時のヒット曲)。
(雑誌「型技術」三十郎・旅日記から電子版向けに編集)
(2018/11/25 05:00)