[ オピニオン ]
(2019/6/3 05:00)
俳優やアーティストが犯した犯罪と、その人が過去に携わった作品の是非は分けるべきではないか、との議論が高まっている。罪の重さなどで考慮する点はあると思うが、発売や公開が中止になれば経済的ダメージも大きい。
娯楽作品に限った話ではない。1年半前、スーパーコンピューター開発ベンチャーの社長が詐欺容疑で逮捕された時も、犯した罪は非難されても、技術は正当に評価されるべきではないかとの声が挙がった。
世界中で技術開発や経済競争が激化する中、冷静に判断せねば秀でた技術や成果の躍進の芽を摘むことにもなりかねない。元日産会長のカルロス・ゴーン被告をどう評価するかも、根は同じだ。
歴史をたどれば、カラヴァッジョは「明暗法」と呼ばれる技法を使った絵画で16世紀を代表する画家となったが、殺人を犯した犯罪者でもある。太宰治は薬物中毒だった。時が解決する面はあるかもしれないが、当時の人々はどう受け止めたのか。
インターネットや参加型交流サイト(SNS)の普及で、消費者の反応が直接届くようになったことも自粛理由の一つとされる。我々メディアや消費者も、冷静に受け取る準備が必要だ。罪を憎んで成果を憎まず、とは理想論だろうか。
(2019/6/3 05:00)