(2022/11/7 05:00)
知財への投資とESG(環境・社会・企業統治)経営の実践とは、企業価値の向上につながる取り組みである点で共通し、相互に密接な関係を有する。しかし、わが国では知財への対応は知財部門に任せておけばよいとの意識が依然として根強く、経営層によるESG経営の実践において、知財が十分に生かされていない可能性がある。
コーポレートガバナンス・コードの実践
知財とESG経営との接点
企業価値に占める無形資産の割合は国内外を問わず増加傾向にあり、無形資産の中で知財は人的資本と並んで重要な地位を占める。わが国の企業価値に占める無形資産の割合は産業構造の相違などもあり米国のそれと比べて低いが、見方を変えれば知財・無形資産に対する投資への伸び代がある状態ともいえる(図表1)。このような中、2021年6月に行われたコーポレートガバナンス・コードの改訂により、知財への投資等に関する補充原則が追加された。
一方で、機関投資家を中心に企業経営のサステナビリティを評価するという考え方が普及し、企業は投資先として選ばれるために、ESGパフォーマンスの改善を通じた企業価値の向上という要求に応えることも求められている。そのような要求に応える経営はESG経営とも呼ばれる。
このように知財への投資とESG経営の実践とは企業価値の向上につながる活動である点で共通しており、両者は密接な関係を有している。しかし、我が国では、知財への対応は知財部門に任せておけばよいとの意識が残っており、知財部門による活動が企業経営に十分に貢献していると感じられていない実情がある(円グラフ)。すなわち経営層と知財部門との間に溝が存在し、情報共有が十分になされていない企業が存在している。
本稿は、経営層の関心が高いと考えられるESG経営において、知財部門も関与できる取り組みを、政府内での関係する取り組みとともに紹介することを通じ、経営層と知財部門に共通の話題を提供し、両者のコミュニケーション活性化の一助となることを期待するものである。
迫られる気候変動対応
環境と知財
持続的成長との観点から企業などには気候変動問題への対応が求められている。改訂コーポレートガバナンス・コードでは、プライム市場上場会社に対し、「気候変動に係るリスク及び収益機会が自社の事業活動や収益等に与える影響について、必要なデータの収集と分析を行い、国際的に確立された開示の枠組みであるTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)またはそれと同等の枠組みに基づく開示の質と量の充実を進める」ことを求める補充原則が追加された。
しかし、環境省が21年3月に公表した「TCFDを活用した経営戦略立案のススメ」では、TCFDの枠組みが求めるシナリオ分析の実践において企業が困る点の一つとして「シナリオ分析に活用可能な外部データが不足している」ことが指摘されている。
一方、特許・実用新案・意匠・商標に関しては「特許情報」や「知財情報」と称される機械処理可能な大量のデータが世界的に存在する。日本の特許庁も、特許などに関する情報を「特許情報標準データ」や「公報データ」という形で提供しており、当該データを取り込んだ商用のデータベースも多数存在する。このような特許情報は、気候変動問題に対処するための知財投資の分析などに使えるデータの有力な候補と考えられる。
実際、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、気候関連財務情報の開示の一環として2020年以降の「ESG活動報告」において、低炭素技術に関する特許情報を用いて、GPIFの保有する資産価値(株式や社債など)に対して気候変動に伴うリスクと機会が与える影響を分析している。
また特許庁は、グリーン・トランスフォーメーション(GX)技術を俯瞰する新たな技術区分表を作成し、データに基づく分析を行えるようにすべく、技術区分表に掲載の各GX技術を特許データベースから抽出するための特許検索式と合わせて「GXTI (GX Technologies Inventory)」との名称で2022年6月に公表している。
社会と知財
知財というと、その名称から経済的価値自体やその源泉であるかのような印象もある。一方、社会的価値というと、非営利的活動によって提供されることが想起される場合もあろう。だが「共通価値の創造(CSV)」との言葉に代表されるように、企業などには、その活動を通じて経済的価値の創出と同時に、社会的価値の創出・提供を行うことが求められており、企業活動の資源となる知財は、これら二つの価値の源泉となるものである。
しかし、知財の中でも特許権や商標権等は排他的独占権と説明されることもあり、これが社会的価値の創出・提供に必要なものなのかという声があるのも事実だ。過去には、大学における研究成果を知財権化することに対して同様な議論があった。
今世紀に入り、前世紀のような供給主導の経済から需要主導の経済に移行し、需要側のニーズやウォンツがますます高度化・複雑化する中、一つの主体で必要な資源を全て準備し、それらを組み合わせてある程度の規模の需要者から共感を得るようなモノやサービスを提供することが困難になっている。
これを受け、新たな社会的価値の創出・提供の場面においても、単独ではなく複数の主体の協働によって価値を創出するオープンイノベーションが注目され、フューチャーセンターやリビングラボと称されるような場で実践され始めている。
知財権の排他性の強さは権利者の組織、設備、資本の大小にかかわらず同じであることから、知財権を保有することによって、オープンイノベーションの現場で、これを誰にどの程度シェアするのかをコントロールできるようになる。つまり、知財権は新たな社会的価値の創出・提供の場面でも、対等なパートナーシップの構築や、共感し合える仲間が集うコミュニティー形成のためのツールとして活用できるのである。
特許庁では環境問題や貧困などの社会課題解決に向けて、新しい取組にチャレンジするスタートアップ企業、非営利法人や個人事業主の方々に対し、知財権を前記のようなツールとして活用できるようサポートする伴走支援プログラム「I―OPEN」プロジェクトを実施している。社会的価値の創出・提供の場面における知財の活用の実例については、特許庁の「I―OPEN」ウェブサイトに掲載している。
経営層と知財部門の対話で企業統治を昇華
企業統治と知財
コーポレートガバナンス・コードの改訂により、上場企業が行う企業統治の一環として、知財への投資等に関する情報の開示や取締役会による監督を求める補充原則が追加された。しかし、知財・無形資産を含む非財務情報を将来の企業価値と結びつけて開示・説明することの困難性については従前より指摘されており(図表2)、補充原則が追加されたからといって、すぐにこれができるようになるものでもない。
実際、東京証券取引所が2022年7月14日時点で集計した「コーポレートガバナンス・コードへの対応状況」によると、「補充原則3-1③」のコンプライ率は62・5%で、プライム市場の会社の全原則のコンプライ率の中で最低の数値となっている (図表3)。一方、知財をマネジメントするための体制づくりや、競合との差別化を築くための特許ポートフォリオの構築に注目する投資家が出始めているのも事実だ。
知財を企業統治の中に取り込むためには、経営層と知財部門との対話が不可欠だが、特許庁が22年5月に公表した「企業価値向上に資する知的財産活用事例集」では、経営層が「企業や事業の成長戦略との関係で知的財産の役割や事業への貢献を理解している」場合、知財部門が「経営層の思い描く企業や事業の将来像(To be)を現状(As is)との対比において理解している」場合に、両者の対話が実現できていたことが報告されている。また、これを実現するためのフレークワークとして、内閣府が提唱する「経営デザインシート」が存在する。
加えて、内閣府と経済産業省が開催した検討会により22年1月に取りまとめられた「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドラインVer1・0」には、企業がどのような形で知財・無形資産の投資・活用戦略の開示やガバナンスの構築に取り組めば、投資家や金融機関から適切に評価されるかなどが説明されている。
最後に
本稿が冒頭に記載した期待に応え、我が国の長年の課題である経営と知財との一体化について考える契機となれば有難い。関連してMETI Journal オンラインの22年9月の政策特集「知財で挑むESG経営」では、知財からESGにアプローチされている方々のインタビューや対談を記事化している。併せて参照いただきたい。
(2022/11/7 05:00)