- トップ
- 検索結果
記事検索結果
3,385件中、71ページ目 1,401〜1,420件を表示しています。 (検索にかかった時間:0.019秒)
大学卒業後は三菱商事に入社。財務や経理部門など管理畑を歩き「数字の大切さを学ばせてもらった」という。白鳥製薬入社後は製造現場を学んだ後、システムの刷新に着手した。
前職の新生フィナンシャルで約5年半社長を務めた。就任前の同社は経営不振で社員1000人削減を実行。V字回復を成し遂げた。
「自分の会社は自分で守る」と第一声。原子力発電用バルブを主力とする同社で、2代続けて生え抜き社長に就く。東京電力福島第一原子力発電所の事故による原発の稼働減で厳しい経営は続くが、自力による業績回復を目...
銀行業務約30年の中で金融工学に長く携わった。日本興業銀行時代は主に法人向けでポートフォリオのコントロールを中心に担当。「この経験を動態的なポートフォリオ管理が必要とされる個人向けで生かしたい」と新生...
審査畑を中心に、広範な業域を経験した。バブル崩壊時、金融機関の貸し渋りに「困った時に応援するのが地域金融機関の使命」と緊急支援融資を率先し、顧客を支えた。“現場主義”を掲げる同信金は450人の渉外担当...
設計・開発、生産、販売などの工程を広くカバーするソフトウエアプラットフォームを提供する同社。「変革期にある製造業者を支援し、戦略的パートナーになるという方針に共鳴した」と他社から移って社長に就任した理...
国内初の再生医療製品メーカーの新社長は、研究開発のトップを長く務めた元口腔(こうくう)外科医。外科医時代に治療の判断などで必要だった「物事を決めるための覚悟」を今度は経営の決断に生かす...
独自の立型ストーカー式焼却炉を強みに廃棄物プラントのエンジニアリング事業を展開する。10月の創業50年記念式典で社長交代を発表し、周囲を驚かせた。 廃棄物のコンサルタント会社を経て、...
元野球選手で「原辰徳や岡田彰布と大学野球で対戦した」経験を持つ異色の経営者。ジェフ・ヘイガー前社長からマウンドを継ぎ社長に就任した。「当社の日本でのシェアはまだ小さいが、世界最大級の損保会社である米国...
入社後5年間の生産部門を除き、社長就任前まで開発に従事してきた。「他社にない顧客を驚かせる包装機械」を目指し、海外ペットフードメーカー向けや医薬品・医療機器向けなどの事業化も主導した。 ...
武田薬品工業の研究者6人が独立して設立した、がん領域の創薬ベンチャーを率いる。「早期段階の創薬は失敗などのリスクが高く、製薬企業が全部を手がけるのは難しい。生命科学のエコシステム(生態系...
鉱山から切り出す岩石を破砕して建設会社などに販売する採石・砕石業を営む。東日本大震災後の建設インフラ復旧に尽力した。専務として、父で現会長の功氏を支え、創業60年を機に経営のバトンを継いだ。 ...
「北見に戻ることは考えていなかった」。社会人生活を始めたばかりの2016年7月、前社長である父の大病が分かった。付き添いもする中で、余命が約1年と告知された。
創業に携わった4家のメンバーが代々務めてきた経営トップに、創業家以外から初めて就任した。 「立場は変わるが、オーナー家を支える役割を継続し、次の世代へのバックアップをしていきたい」と...
IHIの農業機械子会社2社が統合し、10月1日付で発足した「IHIアグリテック」。新たな船出をトップとして迎え、「農業分野でキラリと光る技術や新製品を生み出したい」と力を込める。 農...
「どんな仕事も一人ひとりの力を合わせた総合力で成り立つ」。IHI時代は回転機械を中心に多様な部署を担当、“総合力”の大切さを学んだ。若手時代に手がけた大型圧縮機の設計業務。
「モノづくりで大阪の町を活性化させる」ことを基本に、地域の中小企業向け融資に尽力してきた。今後も「貸し出し主体の業容を展開していく」考え。 そのため創業や経営支援へ積極的に関わる。
“鉄のまち九条”と呼ばれる大阪市西区で、鉄の切断、穴開け、溶接などを得意とする。専務として約30年間、営業面で手腕を発揮してきた。大学時代は経営学を専攻。
営業担当を置かず口コミだけで仕事が続く従業員22人の熱処理会社を父親から継いだ。「顧客にノーと言わず、常に新しいものに挑戦する」と技術重視の社風を守る気構えだ。一方で「会社の主力は30代。
鋼板や紙、樹脂シートなどの切断機向けを中心に制御システムが主力の同社を、父の山本邦弘会長から引き継いだ。制御盤を扱いつつ社員97人の半数がシステムエンジニアという特徴を生かし、ソフトウエア重視を貫く。...