[ 機械 ]
(2017/6/29 12:00)
わが国の製造業は世界トップレベルを維持しているが、新興工業国の追い上げも厳しく、常に新発想に基づく高品質で高付加価値の工業製品を他国に先がけて作り、適切な価格で提供することが必要である。そのためには生産技術、特に工作機械の絶えざる高度化と、継続的人材育成が必須である。ここでは工作機械の歴史と工作機械産業の発展について、筆者勤務の博物館が保存展示している、製造業発展に貢献した歴史的価値ある工作機械のいくつかを紹介しつつ解説する。
【日本工業大学 理事 工業技術博物館長 松野 健一】
産業革命を推進し、量産支える
英国で始まった産業革命は、18世紀後半の蒸気機関の改良による強力な動力機械や蒸気機関車の出現で推進された。シリンダー内面の円筒部を仕上げるための工作機械「中ぐり盤」が英国で開発された結果、ピストンとの隙間からの蒸気漏れが少なくなり、蒸気機関の能率が向上し、各分野で活躍するようになったのである。
こうした技術が諸国に移転し、また各種の機械が金属製になるのに伴い、頑丈な金属製の工作機械が作られ、18世紀末の送り台付き全鉄製旋盤の完成によって、誰でも容易に部品を製作できるようになった。19世紀に入ると、平削り盤、形削り盤、タレット旋盤、万能フライス盤なども開発され、工作機械は「機械を作る機械(マザーマシン)」と呼ばれるようになった。
18世紀末から19世紀半ばに米国で互換式生産方式による大量生産が一般的になり、さらに自動車の量産が始まると、米国の工作機械産業は大きく発展し、第一次世界大戦後にはついに欧州を抜いて世界一になった。
日本の工作機械は輸入から始まった
日本での工作機械の歴史は、黒船来航後の幕府や雄藩による欧米からの輸入で始まった。明治維新後、明治政府は欧米列強に「追いつけ追い越せ」と、殖産興業・富国強兵策を強力に推し進め、欧米に使節団(調査団)を派遣するとともに、近代化(西洋化)のために欧米から各分野の専門家、いわゆる「お雇い外国人」を多数(19世紀末までに延べ1万人以上)招聘(しょうへい)した。
明治政府の工廠(こうしょう)などでは欧米製工作機械の模倣機の製造が始まった。また明治維新以前にすでにわが国に進出していた欧米の貿易商や、維新後に国内に次々と設立された工作機械輸入商社によって、欧米の優秀な工作機械の輸入が進んだ。
それらの輸入機械の使用・修理などをしているうちに自分たちでも作ろうという機運が高まり、1880年代後半になって民間の本格的な工作機械メーカーが出現した。その後、日清・日露戦争を経て1940年頃までには、数多くの企業が工作機械製造へ参入し、新規メーカーの設立も続いた。また、政府は工作機械製造事業法の公布などをしたが、製作された機械の多くは輸入機械の模倣機や、技術レベルがかなり劣ったものであった。
「工作機械産業 発達史-絶えざる高度化で世界トップレベルに(下)」に続く
(2017年3月15日 日刊工業新聞第2部「工作機械産業」特集より)
(2017/6/29 12:00)