[ オピニオン ]
(2017/8/15 05:00)
終戦当日の様子を描いた文は多いが、紀行作家の宮脇俊三が『時刻表昭和史』(角川文庫)で書いた“玉音放送”後が印象深い。大学生だった宮脇さんは疎開先の新潟県村上市に帰る途中、父と二人で米坂線今泉駅(山形県長井市)の駅前広場で聴いた。
放送が終わっても、集まった人々は棒のように立っていたという。時が止まったかのようなひとときだが、それでも汽車は時刻表通りに駅に入ってきた。
〈汽車が平然と走っていることで、私のなかで止まっていた時間が、ふたたび動きはじめた。(中略)日本の国土があり、山があり、樹が茂り、川は流れ、そして父と私が乗った汽車は、まちがいなく走っていた〉。
本書は1928年(昭3)の東京・渋谷駅周辺の様子から、45年8月15日までを13章にまとめ、80年に刊行された。ところが17年後の97年に戦後編5章を追加、出版された。当初は戦後3年ぐらいまでを書くつもりだったが、終戦の日を書き終えたところで重いものがストンと落ち、その先を書き続ける意欲が失(う)せてしまったからだ。
終戦の日も日本の鉄道は時刻表通りに走っていた。宮脇さんは2003年に亡くなったが、書き残した作品は、戦争を憎む思いが静かに伝わってくる。
(2017/8/15 05:00)