[ オピニオン ]
(2019/3/29 05:00)
大きくて伸びやかな万年筆の文字。「会社は辞めても日刊工業紙への投句は差し支えないのではないかな」。約25年前、愛知県の本紙俳句ファンから来た定年退職の知らせにこたえた葉書を目にした。
その主は日銀出身の社会派俳人、金子兜太(とうた)さん。98歳で他界して1年たつ。産土(うぶすな)・埼玉県の中学校で彼が作詞した校歌の碑が建立されるなど、飾らぬ反骨精神の持ち主をしのぶ声が後を絶たない。
作品に「銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく」がある。きまじめなサラリーマンを皮肉った。自身は東大から日銀に進んだが、戦地に駆り出された。第二次大戦後に復帰したものの、組合活動をにらまれ、支店を転々とした。
兜太さんの定年は55歳だった。その前にオファーがあり、1974年6月に始まった日刊工業新聞への寄稿「俳句入門」が職業俳人として初連載。タイミングの良さを大いに喜んだとか。その後、本紙読者からの句を選び、評する「俳壇」へと続き、20年以上受け持った。
くだんの俳句ファンは、ウェブ日記で「この欄を句会に代わる道場と考え『入選掲載』されるのを励みに投句を始めた」と明かす。人生100年、定年延長、「働き方改革」の今を兜太さんに問うてみたい。
(2019/3/29 05:00)