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(2018/7/29 07:00)
彼の名は「さかい三十郎」。正義感にあふれた庶民派である。そんな彼が出張時に出会ったノンフィクションのハプニングを「小さな事件簿」としてつづったのが本連載である。
「本当にそんなことが新幹線内で起こるの?信じられないなぁ…」との思いで読まれる方も多いかもしれないが、すべてノンフィクション(事実)なのである。彼の大好きな「映画の話」もちりばめてあるので、思い浮かべていただければ幸いである。
それでは車内で遭遇した事件簿の数々をご紹介させていただく。
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モノづくり・建設工事にまつわる人間模様を描いた名画の数々
レール上を走る音は変わる。鉄橋では音が広がり、トンネルではこもり響きあう。大井川、富士川、……新幹線の鉄橋を渡るたびに、こんな「モノづくり・建設工事の映画」を思い出す。
その1つが「戦場にかける橋」(製作1957年、上映時間155分、監督デビッド・リーン)である。舞台は第二次世界大戦下のビルマ。日本軍捕虜となった英国軍将校一隊が架橋建設工事に協力する。しかし、完成直後に味方の連合国軍により破壊されてしまい無益となり、戦争の無意味さを追及した名作だ。
アレック・ギネスと日本人初のハリウッドスターの早川雪洲が演じ、主題歌「クワイ河マーチ」も印象に残る。その雪洲にまつわるハリウッド・エピソードが残されている。
彼は身長が低く、アップ画面では踏み台を用意させていた。現在の映画撮影でも踏み台が必要な場合は「セッシュウ」と呼ばれているとか。
三十郎は、この映画を見るたびに、サウジアラビアのプラント建設工事「サウジ・メタノール・プラント」に従事したことを懐かしく思い出す。装置・設備類は日本国内でモジュール・製作化されていた。このモジュールをサウジ湾岸から現地道路を通じ、建設現場まで輸送運搬する工事が一大工事であった。
無事、すべてのモジュールを輸送完了した時の感動は、今でも度々思い出す。日本通運の社員の作業姿も忘れられず、関係者全員で記念写真を撮ったものだ。その写真は宝物として大事に保管している。
2つめは「橋のない川」(製作1969年、二部作267分、監督今井正)。大正時代、被差別部落の悲哀と苦闘を描いた力作で、住井すゑの原作である。
トンネル工事も困難と苦渋・犠牲がつきものだ。大規模国家プロジェクトと言えば、東京湾横断工事(海ほたる)があるが、これ以前に青函トンネル工事に携わった技術調査団関係者の約30年の人生を描いた力作がある。「海峡」(製作1982年、上映時間142分、監督森谷司郎、主演高倉健)がそれである。
そして、モノづくり・建設工事関係者の中では、「この映画を見ないとダメ」と語り継がれている作品がある。それは、「黒部の太陽」(製作1968年、三船・石原プロ共同製作、監督熊井啓)だ。当時の映画会社が結んでいた5社協定を三船敏郎、石原裕次郎の両氏が「打ち破りながら製作」された巨編である。
関西電力・熊谷組の黒四ダム建設工事プロジェクトチームは、トンネル掘削中に大破砕帯にぶつかり、苦難を強いられる。撮影本番時に実際の工事同様の事故も起こった。
昭和42年9月30日午後6時。熊谷組工場にセットをつくり、水タンクから切羽の撮影本番時に、予想外の大量の水が大音響とともに噴出した。逃げ惑うスタッフの必死の姿がフィルムに焼きついている。三十郎は中学校から柳川日活館に見に行ったことを今も鮮明に記憶している。
もう1つ、「富士山頂」(製作1970年、上映時間126分、監督村野鎧太郎)も思い出す。これまた石原プロの作品である。
大レーダー設置工事に関する、三菱電機と大成建設の技術部員と気象庁観測器課員の大自然との戦いを描いている。余談だが、三十郎の会社でも東京タワー・瀬戸大橋など技術の粋を集め、製作したものがある。
モノづくりには人・金・物の苦労と、大自然との戦いが付きまとっていることを改めて思い知らされる。
筆者の独り言
筆者が長崎造船所に入って間もなく、夢に見ていた「戦艦武蔵」に出会った。もちろん、図面上でのことである。後に、関係者の著書に付属された青図が手に入り、家宝にしている。この設計図を見ている時は、筆者にとってまさに“至福”である。
(雑誌「型技術」三十郎・旅日記から電子版向けに編集)
(2018/7/29 07:00)