(2024/11/5 12:00)
機械加工の職人としてのスタートは30代後半と早くはない。郷里の宮崎県都城市を出て大手自動車メーカーの期間工となるものの、体調を崩して退社。公共職業安定所の旋盤工募集を見て旋盤、研削盤の道を歩み出す。
―入社までに機械加工を経験は。
「商業高校卒業ということもあって、まったく経験がなかった。入社して2、3日は機械の動かし方や工具の選び方を先輩が教えてくれた。定年が近い昔気質のベテラン社員で、近づきがたい人。しかし仕事を教えてくれたのはそこまで。あとは隣で加工している先輩を見ながら技を盗んだ。技術を身に付けるということはそういうものだと思っていた」
―昭和らしい技能伝承です。
「マニュアルがないから、旋盤の本を買い、仕事が終わっては自宅で勉強した。職場では試行錯誤ばかり。図面の読み方は先輩に隠れて工場長に教えてもらった。4年たって研削盤の担当になったが、それも独学」
―今の時代、富満さんが経験したような育て方はできません。
「手順書や要領書があり、機械の性能も向上している。ワークの加工方法などはしっかり教え込むが、数値だけでは伝えきれない」
「研削時に加工音が変わることがある。一般の人には分かりにくいし、周りでコンプレッサーなどが動いていると聞き取りにくい。耳を澄ませばわずかな変化があり、このタイミングで作業を見極めることがある」
―その音の変化は伝えられませんか。
「感覚なので人それぞれ。音の変化でワークの送りスピードを調整し、マイクロメートル単位(マイクロは100万分の1)の精度を出すことができる。工場は毎日、温度などの環境が異なる。その温度条件や加工時間をデータにして残して、その上に経験と勘を載せることで、仕上がりも変わってくる」
―数値制御(NC)の性能が上がっていますが、職人の技は今後も必要でしょうか。
「素手で研削盤や旋盤のハンドルを回せば1マイクロ―2マイクロメートルの精度を出すことができる。場合によってはNC入力してから加工するよりも、早く仕上げることができる。まだまだ人の技は必要。一つの仕事に長続きしない若者が増えている。私が40年近く続けられたのは、ひとえにこの仕事が好きだからだ」
(2024/11/5 12:00)