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(2016/2/23 05:00)
真田昌幸、信繁(幸村)親子が関ヶ原の戦いの後、14年にわたり蟄居(ちっきょ)させられていた和歌山県九度山町。富有柿の特産地という以外に目立った産業もない高野山麓のひなびた町だが、NHK大河ドラマ『真田丸』の放映で観光客増への期待が膨らんでいる▼幸村らが暮らした屋敷は『真田庵』と呼ばれる名所。最寄りの南海電気鉄道九度山駅には真田ゆかりの「赤備え」の装飾が施され、ドラマ放映以前よりにぎわいが増したという▼九度山では家臣や家族らを養うため、たびたび信州上田の国元に無心するなど経済的に困窮していた。生活の足しにしたのが、内職の“ひも”の製造販売。今で言うベンチャービジネスを起こしたわけだ▼九度山でひもを作り、堺の商人が全国に売り歩いた。その触れ込みが「真田が作る強いひも」。小幅の織物でできたひもは、実際に丈夫なことから多くの用途に使われた。武勇で知られた戦国大名の名は“真田ひも”として定着し、今に伝わる▼いわばブランド活用ビジネスの成功例。幸村は九度山に仕入れに訪れる行商人から、各地の情報を得ていたという。後に大坂夏の陣で徳川家康をいま一歩のところまで追い詰めた知将は、経営センスも持ち合わせていた。
(2016/2/23 05:00)