[ オピニオン ]
(2017/8/18 05:00)
「文字(もんじ)というのは、とても力強いもんですなぁ」。清水寺貫主・森清範師の話は、心に直接響いてくる。よく通る声は今年も健在だ。夏の終わり、京・下京にある安養寺(澤田教英住職)で『送り火法話』を聴く。
「言葉というものには、それ自体に生命が宿っているものでして、言霊(ことだま)と申します。言霊を形として表したものが文字です。言霊の姿どすなぁ。つまり文字にも魂が宿っておるわけです」。温かく力強い声が胸を打つ。
師の言霊に、文字を生業としている身として、たたずまいをあらためる。記事をなす文字は優しいだろうか。自らに問いかける。メモを取る手が止まる。蜩の声に夕立の匂いが重なる。
記事は、取材した人の言霊を丹精込めて文字にして世に問うもの―。パソコンに打ち込む時代になったからといって“文字が軽くなった”と読者諸兄から苦言を呈されることのないように…師の眼がそう語っていた。
夜には「五山送り火」が京の夜を紅く染めた。雨の日が続く首都に暮らすと実感がないが、古都は「例年通りの酷暑どした」と清範師。送り火の聖なる炎が魂を浄土に導けば、酷暑もなりをひそめる。古都に吹く風が優しくなる。少しずつ…。
(2017/8/18 05:00)