[ オピニオン ]
(2016/4/29 05:00)
昨年―すなわち2015年は戦後70年だった。焼け跡からの復興と高度経済成長、バブル崩壊とその後の混迷が、さまざまに話題となった。しかし「昭和90年」という取り上げ方は、ほとんど見なかった。
原因は「90」という数字の切りの悪さだけではない。1968年(昭43)、当時の政府は盛大な「明治100年記念式典」で近代国家の樹立と発展を祝った。だが来るべき「昭和100年」は、やはり国民には「戦後80年」と認識されるに違いない。
昭和という時代には、それだけ大きな断絶がある。軍靴と砲声がとどろいた最初の20年間は反面教師の歴史だ。現代史の区分は一般に明治・大正・昭和と元号に基づくが、未来の日本史では維新から敗戦までをひとつの時代にまとめるのではないか。
国民が等しく祝意を持つのは平和国家の成立である。それが「戦後」を最も大きな区切りとした社会常識になっている。天皇制や元号制の支持とは無関係だろう。
きょうは『昭和の日』。国民の祝日に関する法律には「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とある。昭和天皇が大いに国民に敬愛されたとはいえ、どうにもこの祝日の名前には違和感がある。
(2016/4/29 05:00)