[ オピニオン ]
(2017/3/10 05:00)
3・11以降に計8回、取材で東北を訪ねた。東日本大震災からの復興に取り組む方々に、数多くお会いした。震災の年の夏、宮城県多賀城市には流された廃車の山がいくつも残っていた。しかし浸水被害を受けた東北電機製造の工場は震災1カ月後に生産を再開。当時の社長の椎井一意さんは「生活に不安があったはずなのに社員の士気が高かった」と感謝を伝えた。
アクセンチュアの中村彰二朗さんは震災の年の秋、志願して福島県会津若松市に単身、乗り込んだ。現地で生活しながら支援策を練り、6度目の冬を越した。お目にかかるたびに「地方を良くしないと日本が良くならない」と繰り返す。
津波で壊滅した各地の防災林の復活が急務だが、苗木の供給不足が懸念される。東北電力の社員有志は、自宅で苗木を育て始めた。同社の丹藤文彰さんと交換した名刺はドングリの実の形。活動を知ってもらうきっかけにと自費で制作した。
宮城県南三陸町の歯科医、佐藤長幸さんは診療所とカルテを流され、隣町のプレハブで治療を再開。患者のデータをネット上に蓄積する仕組みを導入した。一人一人の自発性が東北の未来への足取りを確かにしている。小さな取り組みを、しっかり応援したい。
(2017/3/10 05:00)