(2024/12/27 17:00)
元スズキ会長・社長で相談役の鈴木修(すずき・おさむ)氏が25日、悪性リンパ腫のため死去した。94歳だった。葬儀は近親者で行った。後日お別れの会を開く。連絡先は同社秘書部(053・440・2027)。喪主は長男で同社社長の俊宏(としひろ)氏。
修氏はスズキの中興の祖として、世界的な小型車メーカーに育て上げた。中央大学法学部を卒業し、1958年に鈴木自動車工業に入社。2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿となり、63年に取締役、78年には社長に就任した。2000年から会長になるものの、08年には再び社長を兼務し、15年に会長、21年には相談役に退いていた。
40年以上経営トップとしてリーダーシップを発揮し、スズキの売上高は78年の社長就任時から約10倍の3兆円以上(21年3月期)に成長させた。
国内では軽自動車「アルト」など軽や小型車で人気車を数多く誕生させたほか、インド市場を開拓して現地で確固たる地位も築いてきた。近年はトヨタ自動車との提携を深めていた。
評伝 リーダーシップと先見性
修氏は強いリーダーシップと先見性を兼ね備えた経営者であった。
スズキ入社後の初の大仕事は軽トラック専用工場の建設だった。「生意気な婿養子」という周囲の目をはね返すべく、建設費を自ら1割返上し、30代の若手チームを率いてまい進した。建設中は現場に通うため砂利道を毎日運転。年の瀬には完成した工場で夜空を見ながらみなで祝杯を上げたという。「自らが動く」という信念は生涯変わらなかった。
「俺は中小企業のおやじ」と言い続けた。その心は「大きな会社になっても会社の隅々まで配慮する」。経営手法はトップダウンを貫き、自らの考えを理解してもらうことに心を砕いた。
リーダーとしても傑出していた。「人の話に耳を傾けることは必要だが、それに流されてはいけない」とトップダウンで大きな案件を次々と断行。一方で「朝礼昼改でも遅い」と、自分が決めたことでも間違っていると思った瞬間に変えた。
時代を読む目と勝ち筋を見いだす分析は秀でていた。新興国でも一般市民が自動車に乗る時代になると見ると「現地メーカーがトラックと高級車しか生産しておらず首位をとれる」とインドに進出。さらに自らに足りないものは提携で補うという発想は、現在、世界各地のメーカーで展開されている緩やかな連携を先取りしている。ただ、その連携には持ち味の「負けん気」を忘れなかった。
大福餅など甘い物を好み、90歳を超えてからも週末はゴルフを楽しんだ。話すことが大好きで商談は「笑談」とも。毎週、テレビ番組「笑点」を見るのを楽しみにしていた。記者会見でも繰り出す「修語録」は機転が利きつつ真実を突いた名言ばかりだった。(名古屋支社長・大崎弘江)
(2024/12/27 17:00)
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