[ オピニオン ]
(2017/7/6 05:00)
1575年(天正3)の梅雨時に起きた「長篠の戦い」。通説では、織田信長が鉄砲3000丁を用いた「三段撃ち」で攻め、戦国最強とうたわれた武田勝頼率いる騎馬軍団を壊滅させた。
だが史実は異なるようだ。もともと織田・徳川家康連合軍は武田軍の2倍以上の兵力があった。鉄砲を警戒する武田軍にうその情報を流し、長雨でぬかるんだ狭隘(きょうあい)な地に巧妙に誘い込み、鉄砲や柵を使って馬の足を止めた。三段撃ちの連続射撃は疑問視されている。
とはいえ、信長は天才といわれる。鉄砲や鉄甲船といった革新的な戦術を取り入れ、楽市楽座や撰銭令といった経済政策を導入した。情報の扱いにたけていたことも見逃せない。
一説では「桶狭間の戦い」で、今川義元の首を挙げた家臣より、雨中敵本陣の場所を察知した家臣を一番手柄とした。情報を手に入れるため関所を廃し、本拠地を何度も替えた。長篠戦の結果を過剰にPRし、“天下布武”のための交渉材料に利用したと考えても不思議でない。
イノベーションを駆使し、情報を最大限活用する手法は現代の経営に通じる。一方で革新があつれきを生むのも今と変わらない。「本能寺の変」も梅雨時。天才武将は実に雨が似合う。
(2017/7/6 05:00)